方志追い落としで液晶事業に介入し巨額の赤字を計上

「なんじゃこの数字は!」

 年明け、入院中の方志の元には、急落した14年12月の数字が届けられた。中国のスマホメーカーの液晶のハイエンド化が遅れていたのは事実だったが、その影響をはるかに超える落ち込みだった。

 2月に入って方志はシャオミの雷軍最高経営責任者(CEO)とのトップ会談で関係継続を確認するなど巻き返しに躍起だったが、すでに高橋は、「今期は無理しないで、来期にV字回復しようや」との大西の筋書きに、一も二もなく同意していた。

 こうして高橋は「減損ありき」の方針の下、3月から主力取引銀行と金融支援の交渉を本格化させ、液晶事業を業績悪化の「戦犯」に再び位置付けたのだ。

 15年3月期決算で、液晶在庫と亀山・三重工場の減損で計1072億円の損失を計上。15年5月14日の決算発表で、連結最終損失2223億円の巨額赤字を計上した経営責任を取り、方志は6月の株主総会で退任が決まって失脚した。

 一方、2000億円を超える巨額の損失を出したにもかかわらず、社長の高橋の責任は一切問われなかった。財務責任者である大西は、代表取締役を外れたが、副社長執行役員として残留し、方志に代わって液晶事業を担当することになった。

 また、高橋や大西と同学年で、同社の幹部候補育成研修1期生の同期でもある技術担当副社長の水嶋繁光も、代表取締役は外れたが会長職として残留。その親密さから社内外で「仲良し3人組」と呼ばれる3人は、のうのうと生き延びた。

 あからさまな身内びいきの役員人事に、液晶部門の社員たちは「なぜ方志さんだけが」と騒然とした。社内に倦怠感がまん延し始めたのはこのころからだ。関係者によると、液晶事業で毎月数十人の人材がシャープを離れ、年間で500人ほど流出したという。

 15年度から液晶事業は高橋・大西が掌握したが、業績は見る見る悪化した。「経理畑の大西に液晶のかじ取りは無理だった」(シャープOB)との見方通り、液晶事業は一度も四半期黒字を計上することなく、シャープは16年3月期も2559億円にのぼる巨額の最終赤字を計上した。

 相関図で示したように、3人組が残留した15年6月の役員人事の背景には、主力取引銀行である三菱東京UFJ銀行とみずほ銀行の思惑も働いていた。

 大西が液晶事業に介入を始めたころから、三菱の一部で「体力のないシャープに液晶など無理だ。JDIと統合させた方がいい。まずは液晶の分離が必要」との意見が出るようになっていた。

 事業の売り上げを落として資産価値を切り下げれば売却はしやすい。大西がどこまで意識していたかは不明だが、年明けから3月にかけて三菱の主張は強まって「液晶売却」路線は一気に固まった。

 15年7月31日の4~6月期決算発表で高橋が「液晶分社化」の検討を正式に表明すると、三菱は産業革新機構と協議を本格化させたが、人材流出が止まらない液晶事業の悪化は日を追うごとに深刻化していた。

 一方で、そもそもみずほは液晶を主体にシャープ再建を狙っており、方志が主導する液晶部門を評価していた。事実、みずほ側は、革新機構と三菱の協議にほとんど顔を出さなかったという。みずほ側には「15年6月の体制は三菱がつくったもの」との思いがあったに違いない。16年の年明け以降、みずほは突如、鴻海精密工業(ホンハイ)支持に傾いていく(詳細は「再建失敗を糊塗する銀行団 貸し手責任放棄で信用失墜」参照)。