リーマンで狂った液晶投資の歯車
内部抗争の火種に

 下の年表で示したように、シャープが液晶で失敗して危機に陥るのはこれで2度目だ。1度目の失敗は、4代目社長の町田勝彦が液晶テレビ「アクオス」を大ヒットさせた成功体験に勢いづいて、5代目社長の片山幹雄が堺工場(現堺ディスプレイプロダクト)に4300億円の巨額投資を決断したことがきっかけだった。

 下図で示したように、三重第1工場から始まったシャープの液晶への投資は年々拡大、09年に稼働した堺工場までの累計で1.5兆円に迫る。

 その間、シャープの有利子負債は増加の一途をたどっていく(下図参照)。大規模で継続的な投資は液晶事業の定石ではある。だが、08年秋のリーマンショックでシナリオが狂った。在庫が見る見る膨れ上がって損失が表面化。12年3月期に3761億円の最終赤字を計上した。

世界最大のG10マザーガラスで液晶パネルを生産する堺ディスプレイプロダクト。巨額投資の代償は大きかった Photo:時事通信フォト/朝日航洋

 「こうなったらおまえが責任を取れ」。片山に引導を渡して、次の社長に奥田隆司を推したのは町田だった。同時に、12年3月のホンハイとの最初の資本提携合意を果たしたのも町田だった。

 だが会長となった片山は、ホンハイが虎の子のIGZO技術の供与を要求したことに態度を硬化させ、米クアルコムに続いて、13年3月には韓国サムスン電子との資本提携に走る。これが「打倒サムスン」を掲げるホンハイの郭台銘会長の怒りを買い、最初の提携交渉は流れた。

 液晶事業の立て直しが最優先課題だったにもかかわらず、町田と片山の確執によりシャープは迷走し、業績は悪化の一途をたどった。

 13年3月期、5453億円という前期を上回る巨額の赤字を計上し、町田に追い込まれた片山は、自分のカバン持ちを務めていた高橋を担ぎ出し、町田が後押ししていた奥田を社長の座から引きずり降ろした。

 すると、13年6月に社長に就任した高橋は、町田と3代目社長の辻晴雄から個室と社用車を取り上げて会社から遠ざけた。

 権力闘争の果てに、辻、町田、片山、奥田の歴代社長が会社を去り、液晶事業のエースだった方志も排除された。高橋ら仲良し3人組以外、「そして誰もいなくなった」のである。

 あるシャープOBは「諸葛孔明なき三国志の結末だな」と呟いた。

 高橋、大西、水嶋の3人組は、「三国志」に登場する劉備、関羽、張飛の義兄弟を自称してきたが、最後まで孔明役の軍師がいなかった。戦略不在のシャープは没落し、本体ごと買収される結末を迎えた。大西は5月1日付でシャープを離れ、仲良し3人組も崩壊した。

 だがこの3人を「三国志」の英傑に例えるのは明らかに不適切だろう。劉備、関羽、張飛の3人は、蜀という国を愛し、その民を守るために命を懸けた。翻って仲良し3人組は、権力闘争に明け暮れ、“民”である社員を裏切り、シャープという“国”をたたき売ったのだから。(敬称略)