筆者 アメリカでは日本と比べて、学歴が人々の収入や職業などに強く影響を与える一方で、日々の生活の満足感には学歴による差があまりないことがわかりました。しかし、日本ではアメリカより、学歴の有無や最終学歴のステイタスなどに影響を受けている人が多いように思います。それらが事実に基づくものならともかく、「思い込み」に近いものも少なくないように思います。それが、閉塞した社会になっていく一因に見えます。なぜ、こういう状態になるのでしょうか。

人が幸せになるためには、
「自己否定的な努力」をするべからず

加藤 日本の社会にも問題があると思うのです。以前、学歴についてアメリカで取材していたときのことを思い出します。

 MIT(マサチューセッツ工科大学)の入学式で、「高等学校のときは、どのように生活していたのですか?」と学生たちに聞いたところ、「非常に有意義な生活を送ってきた」と答えたのです。私は「MITに入るために、遊びたいのも我慢して受験勉強をしたのではないですか?」と尋ねました。

 彼らの言った言葉は、「Life is more important than university」――。「人生は大学よりも大切だよ」というものでした。

 今も、私はこのやりとりを覚えています。「ああ、いいことを言うな」と思いました。彼らは、意識の中で「最善と最高であること」がはっきりと分かれていて、「最善」を選んで生きているのです。日本のように偏差値が高い、低いという次元ではないのです。彼らは、日本の大学生よりは楽しそうだったし、生き甲斐を感じているようでした。「最高」を目指して生きてきた人ではなく、「最善」を選んできた人はハッピーなのでしょうね。

筆者 日本の場合は、多くの人が「最善」を選んで生きてきたと信じ込んでいますが、実際は世間の価値観に自らを委ねてしまい、いわば「自己否定の努力」を続けているのかもしれないですね。

加藤 人が幸せになるためには、自己否定的な努力はするべきではないのです。「私はそのような人ではありません」と言えないといけない。童話に例えると、カメがウサギと競い合おうと努力をしても、心は満たされないと思います。そんな努力は自分を破壊してしまいかねないのです。カメは、カメであろうとする努力をしたほうがいいのです。

筆者 あらゆる努力が尊いわけではないのですね。