2010年にある新聞社から、「誰にでも会いに行っていい」という条件の仕事をもらったので、京都の岸見先生のご自宅に伺いました。僕にしてみれば、10年越しの思いがようやくかなったわけです。それで、取材が終わった後に、「ぜひ一緒に本をつくらせてください」とお願いしたら、快諾してくださって。そこから、ほぼ4年がかりで仕上げました。

岸見 それまでも新聞や雑誌の取材を受けることはあったのですが、皆さんアドラーをほとんど知らないまま、話を聞きに来られた様子でした。

 ところが、古賀さんは私の本を深く読み込んでいることがすぐ分かりました。それで、「この人となら、きっと面白い本をつくれる」と確信したわけです。

──会ったときの第一印象は?

古賀 岸見先生の本は読んでいたし、写真を見たこともありましたけど、会うまでは京都学派の流れをくむような、権威主義的でちょっと怖い人なのかなと(笑)。

 でも、実際に会うと全然違っていました。例えば、僕の来歴や学歴はまったく聞かれず、しゃべったことや仕上げた原稿で評価してくださる。それが新鮮だったし、うれしかったですね。

岸見 インタビュー原稿を書いてもらうことはそれまでもありましたが、古賀さんの原稿は手直しする必要がない完璧なものでした。そこには絶大な信頼感があって、それは最初に会ったときから変わりません。

 『嫌われる勇気』を一緒につくり始めたときは、父の介護をしていて、短時間だけ施設に預かってもらえるようになったころ。古賀さんに会うのも、父が施設に行っている間だけでしたが、それまではほとんど仕事ができなかったので、違う人生の扉を開くカギとなる人物が現れた感じがありました。

 本の担当編集者が、2人の共同作業は足し算ではなくて、「岸見×古賀」の掛け算だと評価してくれましたが、まさにその通りだと思います。僕一人ではこれだけ多くの人にアドラーの考えを伝えられなかった。感謝しています。

──本に出てくる「青年」と「哲人」は、どこまでお二人のキャラクターが反映されているのですか。

古賀 哲人に食ってかかるような青年の言葉遣いはデフォルメしていますが、根っこの部分は完全に僕ですね(笑)。

 フィクションで人物像をつくり上げてもリアリティーがないので、自分を投影するしかありませんでした。青年や哲人が語るエピソードは、僕や岸見先生の実体験を基にしたものが多いですね。