「力量あるリーダー」が会議を“議論の場”に
その後、新リーダーが就任すると…

 しかし、実績があり、まわりから尊敬される「力量のあるリーダー」は、「こういった工夫や調整こそがよくない」と言う。

「会議は自由闊達な意見交換の場だ。予定調和に落ち着かないよう、もっと喧々囂々の議論を交わそうじゃないか」というわけだ。

 たしかに、「力量のあるリーダー」の発言は正しい。言いたいことを言い合えば参加者たちは満足だろう。会議としても、良いものになるに違いない。しかし、そのような激しい言い合いを経てもなお、会議の場がまとまるのは、「力量あるリーダー」の実績や人格への信頼、メンバーと一緒に苦難を乗り越えてきた同志愛あってこそのことだ。その場の誰もが暗黙の了解で、「どんなにモメても、最後にはリーダーが決めてくれるだろう」し、「そのリーダーが決めたことであれば多少の不満はあってもその意見に従おう」とみなが思っているからだ。

 このリーダーがいる限り、会議の場はいつも大団円を迎えられる。

 問題は、「力量のあるリーダー」がいなくなってからだ。彼のポジションを引き継いだ「新リーダー」は大変だ。どんな問題があってもどうにか解決してくれるスーパーマンがいたために、元々のメンバーたちには、「会議で遠慮する」という習慣がない。そして彼らは、前任者である「力量のあるリーダー」と比較して、新しいリーダーにはあまり尊敬の念を抱けない。しかも(これは着任したばかりでは仕方のないことなのだが)新リーダーは仕事に対する知識が不十分なこともある。そのため、新リーダーの決定に納得しないことが多いのだ。さらに、こういう会社は、力量のあるリーダーの存在のために「会議の達人」を排除している。誰も事前の調整などしない。

 そんな会議では、「○○さんは、この分野についてはあまりご存じないでしょうから、ご説明させていただきますね」などと言って、長々講義をはじめる人まで登場する。3割くらいは「わかってほしい」という気持ちもあるのだろうが、7割くらいは新リーダーを小バカにしている。

 そんなことをされた新リーダーの気分はいいはずがない。そのため新リーダーは、こういったウザい人たちを外そうとする。会議では自分の席を立派な椅子に変え、権威を感じさせられるように光を背に座る場所に変える。遠慮なしにぐじゃぐじゃ文句を言う古株を外した実質的な意思決定の会議体を別に作る。そして、新しいビジョンなどを作って、前任者である古株に「守旧派」のレッテルを貼る。外部の権威から良い評価を得ようとメディアにさっそうと登場し、立派なビジョンを語る。そして、わずかばかりの成功を喧伝して、自らの正統性を確保し、その力でもって内部を抑え込もうとするのだ。

 守旧派のレッテルを貼られた人たちは、不満たらたらである。取引先やお客さんの前であちらこちらで新リーダーに対する不満をぶちまける。

 これらと同様のことが、いろんな会社で日々繰り広げられている。