やれやれこれで、生まれてきても大丈夫な環境が整いました。

 その数日後、お店から「孵化した」という連絡が入り、狂喜乱舞して引き取りに行きました。2羽は元気、1羽はベローシスという足が広がってしまう病気の子でした。全滅でなかったことが嬉しくて、千代田線の中で胸に抱いた小箱から「ぴよぴよぴよ」という鳴き声が漏れるのが愛おしくて、顔のニヤケが止まりません。

 手の中にほっこり包めるくらい小さな雛キジ三羽には、「きーちゃん」「じーちゃん」「三ちゃん」という名前を付けました。

 義祖母が亡くなってから時が止まったようにそのままになっていた和室は、こどもたちが寝ているおばあちゃまを慕って出入りしていたころのように、再びこどもたちが出入りする場所となりました。そして、飼っていた半年間は、本当にいろいろなことがありました。

 足がひねくれて立つことのできないじーちゃんは、ベローシスの治療のために横浜の鳥専門病院にずっとかかっていました。幼いポチンは看護隊長となり、保育園から帰るやいなや「じーちゃんとこ行ってくる」。食事の後も「じーちゃん見てくる」。

 じーちゃんも、ポチンの小さな手の中にすっぽり収まって眠り込んでしまうくらい、彼女になついていました。糞なんて汚いものは大嫌いだった清潔好きの彼女が、じーちゃんの脚についた糞を一生懸命拭き取ってやっている姿を、何度も目にしました。じーちゃんがひたむきに生きる姿に接し、彼女の中に秘められていた母性が一気にあふれ出たのかもしれません。

 彼女の思いが届きますようにと祈る日々でしたが、病状の進行は止めることができませんでした。ある朝、弱々しい声で鳴くこともやめ、もう疲れた、というようにつぶらな瞳をゆっくりと、閉じました。

 じーちゃんは、畑の隣の、小さな木の根元に今も眠っています。

 その後しばらく、きーちゃんと三ちゃんは元気に大きくなっていき、しっかりとしたオトナの羽が生え、トサカらしきものも見えてきました。ぴよぴよという声が、いつの間にか「ケーン!ケーン!」に変わりました。南房総の草むらから聞こえるあの声が東京の住宅地の真ん中から発せられる事態は、ユニークを超えて奇異というよりほかありません。

 そんな矢先、三ちゃんが、1階で飼っているネコに殺されてしまいました。ネコのいる部屋と、キジのいる部屋の、どちらも扉がしっかり締められていなかったのです。

 このときのショックは今でも忘れられません。

 大泣きするこどもたちと一緒に車に飛び乗り、ニイニに三ちゃんをだっこさせて横浜の病院に向かいました。「三ちゃん大丈夫?三ちゃん大丈夫?」と10秒に一度声をかけながら高速道路を疾走していましたが、途中で突然三ちゃんはニイニの手の中からばたばたっと飛び出し、そのまま床にばっさりと倒れ込みました。

 涙でかすむ目を何度もこすりながら病院にたどり着いたときには、ニイニの腕の中で、三ちゃんは息絶えていました。「死んじゃった、死んじゃった、三ちゃん死んじゃった、ニイニが悪いんだ、ニイニが悪いんだよー!」

 おいおい泣くニイニ。お医者さんは「君のせいじゃない。仕方ないよ」と慰めてくれましたが、ニイニの涙は止まりませんでした。