以上、中国の「愛国」に関する考えの変化について見てきたが、どうしてそのような変が起こったのだろうか。筆者は三つの原因があると考える。

 第一に、中国人の価値観の「多様化」が挙げられる。毛沢東時代は伝統的な社会主義理念が人々の共通の価値観だったが、改革開放以降は、以前のように政府が外国の情報をシャットアウトするのが難しくなり、人々はさまざまな情報に接することがきるようになった。それと同時に欧米の価値観が入ってきて、伝統的な社会主義的理念が絶対的価値観ではなくなり、人々の価値観も多様化していった。

 第二に、「主義・主張」よりも実際の生活を大切にするという中国人の態度である。中国が半植民地・半封建国状態にあったとき、開明的な人たちは「中国を改造」し、人々に幸福をもたらすものとして社会主義を自らの理念として革命運動を繰り広げ、また革命に目覚めた学生も外国製品ボイコットやデモ行進などで列強の侵略行為に抗議した。

 だが、現在、中国の人々は「主義・主張」にはまったく興味がなく、自分の生活がよければそれでいいと考えている。筆者と交流のある中国人も「社会主義とか考えたことない。自分の生活をよくしてくれるなら何でもいい」と考えている。だから、ラディカルな愛国主義運動には興味を示さず、「自分のやるべきことをしっかりやる。それが愛国だ」というのである。

 第三に、行き過ぎた「愛国的行動」は中国の国家イメージを損なう恐れがあるからである。現在中国は改革開放前とは違い、世界の政治・経済で存在感を増してきており、自己中心的なふるまいをするとたちまち世界各国から批判される。南シナ海問題、尖閣諸島問題で中国の対応が各国から注目され、様々な議論がなされるのも中国の国力が著しく向上した証拠で、大国にふさわしい行動が求められている。そのため、国家イメージを保つことは中国にとって重要なことである。

 例えば、ここ数年、海外に旅行した中国人観光客のマナーが中国でも問題になっているが、マナーの悪い一部観光客の行動が中国の国家イメージを傷つけるためである。行き過ぎた「愛国的行動」も中国の国家イメージに悪影響を及ぼす可能性があるため、公的メディアも看過できなくなったのである。

 現在、中国は「歴史の記憶」は残っているものの、偏狭なナショナリズムを抑え、理性的に行動するようになっている。中国政府の規制も多少は関係しているだろうが、人々の資質が向上していることも確かである。中国はゆっくりではあるが、変わっている。