連載第7回は、中小企業で働きつつ、父子家庭の主として一家を支えた男性が、シュリンクする職場で生き延びながら起死回生に至った経緯を紹介しよう。妻と別居をしながらも、自分を見失うことなく、がむしゃらに生きた結果、辿り着いた生活とは……。

 なお、本人との話し合いにより、今回は仮名ではなく実名でお伝えすることをお断わりしておく。

 あなたは、生き残ることができるか?


今回のシュリンク業界――情報サービス

 情報サービス業は情報通信業界の1つで、情報提供などのサービスを行なう企業がこの分類に入る。IT関連、たとえば、各種ソフトウェアプログラムの作成などを行なう企業などがあるが、一方で、講演会やセミナー、さらに冊子などを通して情報提供を行なう企業もある。さらに、最近はコンサルティング会社がこの分野に進出してきており、競争は激化している。

 たとえば、会計、給与、販売などのシステムからセキュリティ製品までをトータルで顧客に提供し、サポートするような業態では、社員数1000人を越える大企業もある。かたや、今回紹介するケースのように、社員数30人以下の零細企業も。すそ野が広いことが、この産業の1つの特徴である。


妻が出ていった直後の1ヵ月間、
何をしていたのか、覚えていない

「父子家庭になる前、32~33歳の頃(2008~09年)の年収は、額面で500万円を少し超えていた。それが一気に360~380万円に減った。あれが苦しかったかな……」

 様々な活動を通じて、父親が子どもとの関わりを深めるための支援を行なうNPO法人ファザーリング・ジャパンの代表理事・吉田大樹さん(35)は、今年6月末まで勤務した会社員の頃を振り返った。