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お金は本来、価値を保存し交換するための便利な道具にすぎない。ところが現代では、その道具がいつのまにか人生の目的になってしまうことがある。著者はこの状態を「貨幣信仰」と呼ぶ。稼いでも稼いでも走り続けずにはいられない「勝ち組」たちの心理を探る。※本稿は、文筆家・個人投資家のヤマザキOKコンピュータ『お金信仰さようなら』(穴書)の一部を抜粋・編集したものです。
一生遊んで暮らせる身なのに
資産を増やすことに心を削る
市場信仰がお金に「価値観」を支配された状態だとしたら、対をなす貨幣信仰は、お金に「人生観」を支配された状態を指す。
貨幣はそれ自体が求心力を持っていて、強力に人を惹きつける。
価値の保存や測定、交換の仲介に至るまで、幅広く使える道具だが、その範疇を超えて貨幣自体が究極の目的となってしまうことがある。それを私は、貨幣信仰と定義する。
以前、仕事で少しだけ関わった相手で、暗号通貨の取引で莫大な資産を得たという人がいた。かれの資産は数十億円かそれ以上。一生遊んで暮らせるどころか、私なら1000年やっていけそうな金額を若くして手に入れているが、なお資産を増やすべく、日々努力と苦心を重ねていた。
かれの目的は明確で、資産の額を増やすこと。そのために工夫を凝らし、リスクを取り、朝から晩まで忙しく動き回っている。とにかく休む暇がないらしく、心身ともに疲れ果てているように見えた。
私は「スマートフォンの電源を切って小笠原諸島でも行ってみては」と提案したが「僕が数日休んだら、日本にとんでもない損失が出ますよ」と返ってきた。
だから何だという話で、私ならそれでも休みを取るだろう。私の主人は私である。「社員や仲間の生活が」というならまだしも、「とんでもない損失」とかいう数字のために命を使い果たしたくはない。







