人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。
「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。
これからご紹介するエピソードは、『後悔しない死の迎え方』から抜粋し、再構成したものです。
医療現場で実際にあった、さまざまな人の多様な死との向き合い方を知ることで、自分なら死にどう向き合おうかと考える機会にしてみてはいかがでしょうか。(こちらは2018年12月26日付け記事を再掲載したものです)

息が止まった瞬間が
「死に目」とは限らない

1000人の看取りに接した看護師が伝える、<br />「死に目に会えなかった」と後悔している人に知ってほしいこと後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター。看取りコミュニケーター。
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。<写真:松島和彦>

 死の瞬間とは、いつのことだと思いますか。
 日本では、医師が死亡と確認したところが死亡確認となります。
 ニュースなどでこんなことを聞いたことがありませんか。
「心肺停止状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました」
 つまり、医師が死亡確認をするまでは、心肺停止した状態ではあるが亡くなってはいない、というのが日本での考え方なのです。
 ですから私はできるだけ、ご家族がみんなそろって、その死を納得できてから、医師を呼んで死亡確認をしてもらうようにしています。

 医師は、「死の3徴候」といわれている、「呼吸が止まる」「心臓が止まる」「脳の働きが止まる(瞳孔散大と対光反射の消失)」を確認したときに、もう二度と息を吹き返すことはないということで「死亡」と線引きしているのですが、細胞レベルでいえば、まだ一部、生きている細胞も存在していたりします。
 ですから、明確にこの瞬間が死の瞬間ということはないのです。

 人は、ロボットのようにスイッチを切ったとたんに死んでしまう、というわけではありません。
 人の死とは、いろいろな機能が徐々に死んでいって、やがてすべてが死に至る、という感じなのです。
 なので、呼吸が止まってすぐに全細胞が死んでしまうわけではないので、そのわずかに残された「生」の部分が、ぬくもりとして残されています。
 つまり、まだ体温があるのです。

 ぬくもりがいつまで残るかは、その人によって違いがあります。
 ある高齢の女性患者さんの場合、呼吸が止まってから数十分後、娘さんが病室に駆けつけてきました。