息子さんに電話で知らせると、
「なんで息止まったって、もっと早く電話してこないんだ!」
 とすごい剣幕で怒られました。
 息子さんはすぐ駆けつけてくると、「もう息が止まってしまっているんです」と説明した看護師にも怒りをぶつけたのです。

 私が、「まだあたたかいですよ」と言っても、
「でも、息止まってんじゃねえか」
 と、その怒りはとうていおさまらないかに思えました。

 しかし、そう言いながらも、息子さんはお母さんの手に触れました。
 すると、ふっと我に返ったかのように静かにつぶやいたのです。

「ほんとだ、あったかいね……」

 そして、お母さんに話しかけるように言葉をかけました。
「母ちゃん、頑張ったよな。こんな安らかな顔して」

 息子さんはそこからは落ち着いた様子を見せ、最後は「お世話になりました」と頭を下げて帰っていったのでした。

「親の死に目に会えないのは最大の親不孝」
 日本では昔からこう言われてきました。
 だからなのか、どんなに忙しくても、親が危篤との報せが入ると、取るものもとりあえず駆けつけるのが当たり前ですし、世間もそれを当然のように受け止めています。
 でも、この言葉の解釈には誤解があるようです。

 この言葉の本当の意味は、「親よりも先に死ぬことが最大の親不孝」ということのようです。
「親の死に目に会えない」というのは、実際に親が死に瀕しているときの話ではなく、自分が親より先に死んでしまうことを言っているのだと、物の本で読んだことがあります。

 この言葉の表面的な解釈に縛られて悔やみ続けている人がいるなら、そろそろ後悔という名の重い荷物を降ろしてみませんか。