「違憲であっても無効ではない」
そんな甘い考えを持っていなかったか?

 広島高裁は3月25日、昨年末の総選挙における小選挙区の区割が「違憲」であり、広島1、2区の選挙を「無効」とする判決を示した。その後も、同様の判決が相次いでいる。

 当然のことながら、日本の司法が立法や行政に対して毅然とした態度で臨んだことを高く評価する。

 このような事態を招いた責任はどこにあるのか。その責任を誰がどのように引き受けるのか。しかも、解散当時既に定数の不均衡が違憲状態にあることは明白であった。それにもかかわらず、総選挙をあえて断行したのだからきわめて罪深い。

 罪一等と言うべき野田佳彦首相は、判決への感想を求められても沈黙して立ち去ったという。おそらく彼は、周辺から「違憲となっても無効にはならない」と言われてそれを信じたのであろう。

 今回の判決は、現衆議院議員の正統性に疑いがあると言われたに等しい。そして、そこで選ばれた首相や内閣まで正統性に欠けていると言われても反論できない。それどころか、国会で成立した法律や条約、予算などすべてが憲法違反の中での所産ということになってしまうのだ。

 判決は、国会と内閣の怠慢を厳しく批判している。最高裁の違憲状態判決を経て1年半以上も“一票の格差是正”を放置したこと。国会の会期が479日もあった。「消費増税を柱とするいわゆる社会保障・税一体改革関連法など、極めて多くの政治的課題を抱えていた法律が成立していることをみても、是正が合理的期間内になされないと言わざるを得ない」と判決は断じた。要するに、消費税増税を定数是正に優先させた。税法を憲法に優先させた。それを痛烈に批判しているのだろう。

 おそらく、国会も内閣も最高裁ではせいぜい「違憲であっても無効ではない」との判決が出ると今でも信じている人が大半なのだろう。