アパレル大手ワールドが平成27年度中に10~15ブランド、総計400~500店舗撤退を発表。また、アパレル大手TSIホールディングスも続いて11ブランド、260店舗撤退の発表をした。一方、私たちには、連日のように国内外の投資ファンドや金融機関から流通企業に対するM&Aの話が入り、海外からも外資ブランドの日本参入、事業立ち上げに関する相談が絶えない。このままいくと日本からアパレル業界は消滅するのではないかという声も聞こえてくる。私たちカート・サーモンが手がける流通業界には、あらゆる業界が参考にすべきヒントが沢山ある。

 本連載、「経営眼を鍛えるビジネス発想・売れないが売れるに変わるスイッチはどこにあるか?」を通して、多くの読者から様々なご意見、ご感想をいただいた。前回「自社が抱える経営課題」について読者アンケートを実施、実際にどんな課題が立ちはだかっているのかナマの声を集めたところ、それらの多くは「競合との差別化」と「組織」に関するものだった(右図)。

 本連載の最終章である本稿ではアパレル業界をケースとし、読者にいくつかのヒントを提示できればと思う。

国際化が遅れたアパレル業界

 皆さんは、「DCブランド」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは、デザイナー、キャラクターブランドの略で、1980年代に日本で社会的ブームになったアパレルブランドの総称だ。当時、ファッション雑誌は最先端のファッションとしてDCブランドを取り上げ、丸井などのファッションビルは、高額なDCブランドを「分割払い」(当時は「月賦」と呼んだ)という斬新なビジネスモデルで一般大衆化した。

瀕死のアパレルブランドが差別化を実現し復活するまでかわい・たく
カート・サーモン・ユーエスインク日本支社パートナー/繊維商社にて10年の海外営業の後、経営コンサルタントに転身。ターンアラウンドマネージャ(企業・事業再生)として数多くのアパレル、流通チェーン、百貨店などにハンズオンで入り込み、経営立て直し、新規事業立ち上げを成功させた。著書『ブランドで競争する技術』(ダイヤモンド社)は中国語に翻訳され台湾でも発売されている。

 今の若者世代に「服をローンで買う」という話をすると「信じられない」という顔をする。しかし、私自身、学生時代に丸井のカードを作り、10万円以上もするスーツを「月賦」で買ったし、私の周りの学生もそうだった。借金までして服を買う市場。それが日本だったのである。

 そこに目をつけたのが総合商社だった。彼らは、海外の一流ブランドを次々と日本に導入し、内外価格差(日本で買う値段と海外で買う値段の差)1.5~ 2倍という信じられないほどの高価格で、日本でビジネスを展開した。当時は円高ということもあり、海外旅行で日本人が買うのは高級ブランド品ばかりだった。イタリアのミラノ、フランスのパリなどに日本人は殺到し、パリのルイ・ヴィトン本店では「日本人への販売は3品以内」という制限を設けたほどだった。

 当時、日本は世界でも類を見ないほど高級ブランドの消費市場だったため、日本のアパレル企業は海外に出なかったし、その必然性もなかったのである。当時の繊維製品の総輸出高は総生産量の3%程度。つまり、アパレル商品は完全な内需型産業だった。

「ユニ・ムジショック」が日本列島を襲う

 しかし、「月賦」で服を買う時代は終わりを告げた。バブル時代の終焉である。人は過剰消費に対する反省から低価格品を買うようになった。当時、洋服の青山、アオキは2000円でスーツを販売し、国内は「超デフレ時代」と言わた。そのとき、登場したのが「ユニクロ」と「無印良品」である。