戦後71年がたち、改めて考えたい旧日本軍の「失敗の本質」。日本的組織は、問題が起きた時に計画を中止したり、変更・改善をなかなか行えない。壊滅へ向かって突き進むのはなぜなのか?14万部のベストセラーとなった『「超」入門 失敗の本質』の著者が、日本的組織のジレンマを読み解く(後編)。特別寄稿。

ガダルカナル、「それは帝国陸軍の墓地の名である」

 71年前の夏、日本の敗戦を予見させる悲惨な戦いがもう一つ始まります。日本から約4000キロ離れたガダルカナル島の戦いです。1942年6月5日から2日間にわたったミッドウェー海戦が、日本海軍の惨敗で終わったあと、同年8月から始まり、日米の戦いの趨勢を決めたもう一つの大消耗戦です。

 1942年の8月から、約半年にわたり繰り広げられた日米の戦いは、陸海空であらゆる手段を尽くし、双方がどれだけ迅速に現実から学ぶかが勝敗を分けました。

「ガダルカナル作戦は、大東亜戦争の陸戦のターニング・ポイントであった。海軍敗北の起点がミッドウェー海戦であったとすれば、陸軍が陸戦において初めて米国に負けたのがガダルカナルであった」

「サミュエル・モリソンは、「ガダルカナルとは、島の名ではなく感動そのものである」と述べ、これに対して伊藤正徳は、「それは帝国陸軍の墓地の名である」とそれぞれ書いている」(いずれも『失敗の本質』より)

 日本は、海軍の艦艇による3度のソロモン海戦、900キロも離れたラバウル航空基地からの空の攻撃、陸軍の上陸部隊による米軍飛行場への攻撃と、3つの戦域で戦いました。一時的には善戦をしたものの、いずれも最後は手痛い敗北を喫しています。

 日本側にとって、巨大な消耗戦となった悲惨な戦場には、どのような失敗が起きていたのでしょうか。

『失敗の本質』が示す、自己革新組織の原則

 ガダルカナル島の戦いは、日本軍の敗因を組織論として分析した名著『失敗の本質』で3番目に分析されている作戦です。

 日本陸軍の上陸部隊は、敵である米海兵隊の規模と戦力を甘く見て、数度の攻撃に失敗して戦力を著しく損耗、最後は同島から撤退することになりました。

『失敗の本質』、第3章の「自己革新組織の原則」を以下に引用しておきます。

【自己革新組織の原則】※『失敗の本質』第3章より
(1)不均衡の創造
(2)自律性の確保
(3)創造的破壊による突出
(4)異端・偶然との共存
(5)知識の淘汰と蓄積

 不均衡の創造とは、変化する外界に対して組織自体が従来のバランスを崩すことで、新たな才能や適応力を生み出すことです。ところが日本軍は陸海ともに極めて厳格な組織体制で、陸軍・海軍大学校の成績順位を過度に重視するなど、学歴主義で上意下達の組織でした。

 知識の淘汰と蓄積とは、新たな環境に接することで有効な知識とそうでない知識を選別し、有効な知識を蓄積して新たな成功に結び付けていくことです。

 しかしガダルカナル島を巡る戦いでも証明されたように、この「知識の淘汰と蓄積」は、米軍が日本軍を遥かに上回るスピードで成し遂げて、新たな知識(成功法)を次々と生み出して、日本軍を加速度的に圧倒していきました。

第1次ソロモン海戦の、日本海軍の大勝利とその後

 1942年8月7日、米海兵隊がガダルカナル島に上陸し、飛行場を設営中だった日本部隊を駆逐して、飛行場を含む基地を設営します。日本軍はこの上陸を、ラバウルからの戦闘機、爆撃機部隊で阻止しようとしますが、ほとんどの爆撃機が撃墜されてしまいます(但し零戦自体は、米軍のF4F戦闘機より依然として空戦で優れていた)。

 日本側の爆撃機がほとんど撃墜されたのは、米軍側が「ゼロ戦を無視してまっすぐ爆撃機を攻撃するよう」命令が徹底されていたからです。爆撃機を撃墜したあとは被害を避けるため、米軍機は零戦から逃げるよう指示されていました。

 8月8日夜半には、夜襲攻撃を狙った三川軍一中将の第八艦隊が現地に到着。熟練の偵察機パイロットの活躍と、米軍側の複雑な指揮系統に助けられて米軍の警戒区域に侵入。五隻の敵巡洋艦を撃破する大勝利を収めます。しかし同時にガダルカナル島への補給部隊を撃滅することを諦め、第八艦隊は撤退をしてしまいます。

 もし勝利した第八艦隊が、米軍の輸送船団を殲滅していたら、ガダルカナル戦の形勢は変わっていたと『失敗の本質』と『ガダルカナルの戦い』(エドウィン・P・ホイト)は指摘するほど、最初で最後の好機を逃したのです。

 第2次ソロモン海戦では、米軍の空母ワプスを撃沈するも、日本海軍側は空母龍驤ほか、第一次とは比較にならない被害を受けます。第3次ソロモン海戦では、明らかに日本海軍の一方的な敗北となりました。

 ラバウル航空基地からの支援も、時間が経つにしたがい日本側が劣勢に追い込まれます。すぐに撃墜されてしまう爆撃機ばかりを効果的に集中攻撃され、観測所やレーダーなどの監視システムによって、日本軍側の飛来は正確に予測されていたからです。

 米軍側の資料を元に書かれた『ガダルカナルの戦い』には、米軍側が日本側の航空部隊が正午に来襲する情報を得たので、パイロットに「11時に昼食を終えて、その後出撃して高高度で敵を迎え撃つように」と、命令できたことが書かれています。

 片道900キロを飛行してやっとガダルカナルに到着する日本のパイロット。一方の米軍は、敵の飛行機が来る時間まで正確にわかったので、事前に昼食を済ませて腹ごしらえをしてから先に出撃するほどの余裕が、米軍側の学習システムで作られていたのです。

 ラバウル航空基地の日本軍も、連戦の被害に急速に消耗していきました。