梶取弘昌(かじとり・ひろまさ)
大妻中学高等学校校長
1952年東京生まれ。武蔵高等学校中学校、東京藝術大学声楽科卒業後、1977年武蔵高等学校中学校芸術科非常勤講師(88年専任教諭)。2005年教頭、11年から19年まで校長を務める。22年4月より現職。
鵜崎 創(うざき・はじめ)
学校法人女子学院院長、女子学院中学校・高等学校校長
1964年東京生まれ。国際基督教大学卒業後、旭化成に勤務。89年、テネシー明治学院高等部の設立に理科教員として参加。恵泉女学園中学・高等学校副校長を経て、2016年より現職。
「自立的に」なるため必要なこと
――「自立的に」という点で、学校としてはどのような教育をなさっているのでしょうか。
梶取 まず、答えをすぐに与えない。校長室の扉が開いているので、生徒が来てよく言うのが、「校則を変えてほしい」。私から見てもごく当たり前のもので、特に厳しい校則があるわけではないのですが、「分かった」とはすぐには言わない。
クラスで、生徒会で、みんなでよく話し合うように言います。このとき教員が先走ってはいけません。「何でその校則はあるの」から考えさせたいからです。「世の中の決まりって何であるの?」から、日本国憲法って何であるのにまで行き着く。何でそれが決まったのかを考える。そこから校則の問題を考える意味が出てくる。そういう議論をさせたいと思っています。スカートの丈の長さや髪の毛の色など、どうでもいいことなのです。
――その点、女子学院は校則があまりないことで有名ですが。
鵜崎 おっしゃる通り、そういったものがないのが女子学院です(笑)。かつて、校則を定めるべきかで議論があったとき、初代院長は、「あなた方は聖書を持っています。自分で自分を治めなさい」と言いました。キリスト教主義の学校として、その上に成立しているからです。
髪の毛の色も服も自由です。大切なことは、自分たちが自分自身の教育環境を守る。そのためにはどうあるべきかを意識することです。ですから、校則は定めませんが、生徒たちは自分たちの約束事、校内での秩序を守っています。
梶取 うらやましいのは、キリスト教というバックボーンがあることですね。仏教にせよ、宗教があると生活指導はすごくしやすい。大妻には校訓「恥を知れ」があることで、人としてするべきことは分かる。どこの学校であっても、守らなければいけないことはどこでも一緒です。
――他者との関係性の中での自立が大事だと考えました。中高一貫校は、12~18歳という人として成長するのに大切な10代の6年間を過ごす所です。そこで過ごすことの意味をどのように考えていらっしゃいますか。
梶取 一言で言うと「ふれあい」ですね。いま、人がきちんと触れ合っていない社会です。コロナで余計にそうなった。子どもたちが、精神的にも物理的にも触れ合っていかなければ教育になりません。学問的なことはネット上に教材はたくさんありますから、その気になればそれだけで大学に受かります。
では、学校とは何か。同世代、先輩後輩、先生方との交わりです。先生の役割は、授業を通して自分の教育観を伝えることです。スキルばかり磨いて、そこに特化する授業を私は評価しません。よく“分かりやすい授業”といいますが、全員に分かるような授業が本当にいいのか。ある一部の生徒にしか引っかからないかもしれないけれども、「この先生すごい」と言われる授業が私は好きです。