女子校の「教育力」を感じるために必要なこと

高橋真実(たかはし・まみ)
森上教育研究所アソシエイト

 

アジルコンサルティング代表。学校広報・改革のコンサルタントとして活動中。1963年福島生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、メーカー勤務、外資系コンサルティング会社を経て独立。

 

 

教育の本質は「光るもの」を取り出すこと

――鵜崎先生はいかがでしょうか。

鵜崎 私はサッカーの指導者をしていたことがあります。フィジカル面でのあらゆる技術の習得で最も大切な時期、8歳から12歳がサッカー選手にとってのゴールデンエイジと呼ばれています。

 中高の6年間は、子どもたちが情緒的なものを獲得する上で本当に大切な時期、まさにゴールデンエイジです。子どもから大人に変化する中、いろいろなものと出会う心が純粋な思春期に育まれる情緒の部分が、自分自身の判断を左右します。これは一生影響してくるものであり、後から得るのがとても困難です。

 大人になると、何か判断するときにメリットとデメリットを計算してしまいます。でも、よくよく考えると心に引っかかるものがある。納得がいかない、本当にそれでいいのか。そういう部分が形づくられるのが中高の6年間です。

 知識をべたべた張り付けて社会に送り出すのではなく、教育の本質は、生徒の内にある与えられたものをどのように磨いて光らせていくかが問われます。もちろん中高の6年間で完成はしません。

梶取 “光るもの”はすべての生徒が持っていますが、われわれはそれに気が付いていない。教師の役割はそれに光を当てることです。

 これも分かりにくい話ですが、私は分かりやすい「PDCA」が嫌いです。それは教育の一つの側面でしかありません。企業で用いられるKPIやKGIのような目標で達成度を測るようなことを教育に持ち込むと、とんでもないことになります。

――女子学院前院長の風間晴子先生が、「Educationとは内なるものを外へ引き出すこと」とおっしゃっていました。子どもたちの持っているものをいかに引き出すかということなのか、お二人のお話もその通りなのだなと感じました。

 ロシアによるウクライナ侵攻、コロナ禍で社会が大きく変わりました。福沢諭吉は『文明論之概略』の中で、「江戸時代と明治時代を生きた自分は一身二生」と書いていますが、いまの時代を生きる子どもたちも同じ状況ではないか。その中で、女子校はどのような役割を果たしていくのでしょうか。

鵜崎 どういう世界であっても、その中で自分が与えられたものを他者のために生かせる。そういうことを学校では教えていますが、時には社会が間違うことは歴史を見れば分かります。社会が求めるものを一歩とどまって考えられるか。それを見極める目を持ってもらう。

「女子校は狭い社会」とも言われますが、本当に社会は広いのですかと問うてみたいと思います。女子校には、同じ教育基盤の上で話し合える生徒がいます。社会に出ると、同じフロアの社員や友人たちと接するくらいで、実は自分の世界は狭くなっているのではないでしょうか。

 キリスト教では、自分自身は神に愛された存在であり、他者も同じと考えます。蹴落とすのではなく、共に世界をつくっていく存在であり、女子校の教育の中では、多様性や協働を大事にしています。もし社会が間違っているなら、自分と異なる意見の人と一緒に、それをどのように変えていったら良いのか。そのことを考え続けるよう学んでもらっています。そのための種まきを6年間で行って、社会に出て行ってほしいと思います。