倉岡一樹

毎日新聞東京本社編集編成局くらし科学環境部医療プレミア編集グループ記者

1977年生まれ。2003年に早稲田大学を卒業し、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、同地方部などを経て2023年4月から現職。2017年に慢性腎不全が発覚し、2019年に実母からの生体腎移植手術で救われた経験から、臓器移植関連取材や病で苦しんだ経験を持つ人へのインタビュー取材をライフワークとしている。

「あなたに腎臓をあげてよかった」67歳母の言葉に、新聞記者の息子が涙ぐんだワケ
倉岡一樹
日本の臓器移植の希望者は1万6000人に上るが、亡くなった人からの年間臓器提供数は、その100分の1にも満たない。臓器提供の意思を医療機関がすくい取りきれておらず、手術可能な設備も整っていないのが現状だ。日本における臓器提供体制の課題や、臓器移植に関わるさまざまな立場の人々の経験を世に届けるべく、腎移植を受けた新聞記者が立ち上がる。※本稿は、『母からもらった腎臓 生体臓器移植を経験した記者が見たこと、考えたこと』(倉岡一樹、毎日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
「あなたに腎臓をあげてよかった」67歳母の言葉に、新聞記者の息子が涙ぐんだワケ
「末期腎不全の息子」を救いたい、67歳母親がひと月で“別人”に変貌したワケ
倉岡一樹
高血圧とたんぱく尿が腎移植ドナーの基準に引っかかり、医師から減量を命じられた67歳の母。息子の病状が予断を許さぬなかで一念発起し、大好きだった塩辛いものは控え、朝晩のウォーキングを開始する。果たして、減量は成功し手術を無事迎えられるのか――。※本稿は、『母からもらった腎臓 生体臓器移植を経験した記者が見たこと、考えたこと』(倉岡一樹、毎日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
「末期腎不全の息子」を救いたい、67歳母親がひと月で“別人”に変貌したワケ
「あげるわよ、腎臓…」67歳母親が「末期腎不全の息子」に放った言葉に心が震える
倉岡一樹
15年目の新聞記者に突然訪れた「腎不全」という宣告。人工透析を受けながら亡くなった人の腎臓の提供を受ける『献腎移植』を待つか、生きた人から提供を受ける『生体腎移植』にするかの選択に迫られた彼に対し、妻と母は寸分の迷いもなくドナーを申し出る。家族の支えと自身の葛藤の中で、移植への道を模索してゆく。※本稿は、倉岡一樹『母からもらった腎臓 生体臓器移植を経験した記者が見たこと、考えたこと』(毎日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
「あげるわよ、腎臓…」67歳母親が「末期腎不全の息子」に放った言葉に心が震える
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