山田克哉
ドイツ原爆開発の謎…31歳でノーベル賞をとった天才は何を考えていたのか?
1938年、ドイツでウランの核分裂が発見された。そこから人類は、核分裂を利用した爆弾の開発に乗り出す。ドイツの原子爆弾開発の中心にいたのは、わずか31歳でノーベル賞を受賞した天才・ヴェルナー・ハイゼンベルク。しかし彼の研究は、終始「原子炉」の臨界実験にのみ焦点を置き続けたという。彼は一体何を思い、原子爆弾の開発に乗り出さなかったのだろうか……?※本稿は、物理学者の山田克哉『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(講談社ブルーバックス)の一部を抜粋・編集したものです。

日本の「原爆開発計画」が失敗に終わった当然の理由
第2次世界大戦下、ドイツと日本もまた原子爆弾の開発を試みていた。だが、両国はなぜアメリカの後塵を拝することになったのか。ウラン濃縮装置を開発しなかったドイツ、臨界質量すら把握できなかった日本――。研究の遅れの裏には、資源不足やデータ欠如だけでなく、国家の体制や科学への姿勢の違いがあった。※本稿は、物理学者の山田克哉『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(講談社ブルーバックス)の一部を抜粋・編集したものです。

日本人物理学者がアメリカの図書館で直面した困った事態「いまだ原子爆弾の国家機密を引きずっているのか…」
著者で元物理学教授の山田克哉は、原子爆弾の惨状を小学生時代に知り「そのエネルギーはどこから生じるのか?」と疑問を抱くようになる。そして大学生の頃、テネシー大学工学部へと留学。原子力工学で修士号を取るつもりで研究に励み、修士課程の最後の1年間を「オークリッジ国立研究所」で過ごすが……。彼が直面した“壁”について紹介しよう。※本稿は、物理学者の山田克哉『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(講談社ブルーバックス)の一部を抜粋・編集したものです。
