結局、彼は「弾よけ」だったのか?

 柳田稔法務大臣が失言の責任を取って辞任した。地元広島で問題の発言があったのは11月14日のことだったから、問題が起こってから1週間粘った。菅首相は、当初、辞任は必要ないと述べていたが、結局、参院での問責決議の前に、補正予算審議を進めるために、という条件で辞任を認めた。

 彼は、いったい何のために法務大臣になったのだろうか。

 近年、特に、この数ヶ月は、司法の信頼を揺るがすような問題が立て続けに起こっている。少し考えるだけでも、小沢氏を巡る検察審査会決議、厚労省の村木元局長の冤罪事件、大阪地検の証拠改竄問題、そして尖閣諸島沖の中国漁船に関わる沖縄地検の対応などが思い浮かぶ。何れも、法務大臣がどのような見解を持ち、指示を行うかが重大な問題だった。

 しかし、これらの問題に関して、柳田大臣が法務省のトップとして意味のある仕事をしたとは思えない。「個別の事案」については、質問に答えないばかりか、法相としての仕事もしていなかったのかも知れないと思わせる人物だ。

 法務省の仕事は、いわゆる「法曹」だけが行うべきだと制限するのは不健全だが、これだけ法的に専門的な問題が連続するときに、全く法律と関係のない経歴の人物が法務大臣というのはいかがなものか。柳田氏は、弁護士等の法律家の経験がないだけでなく、工学部卒で、製鉄メーカー勤務の経験を経て、参議院(当選3回。外交委員長を経験)と、司法に関わる専門性を窺わせる経歴は皆無だ。一説には、菅直人首相と個人的に仲が良かったとのことだが、同氏の法相就任は、周囲の殆どの人にとって意外だったという。

 彼が菅内閣にあって最も役に立ったのは、尖閣沖の中国漁船問題に関する世間の関心を別の方向に逸らしたことだろう。この問題がなければ、野党は、中国漁船の処理と衝突映像の流出問題を巡って、仙谷官房長官を攻め続けていたことだろう。

 敢えて言えば、柳田氏は、菅首相が信を寄せる重要閣僚である仙谷官房長官の「弾よけ」としてのみ機能した。

 柳田氏が、はじめから自分は「弾よけ」だと思い、仙石官房長官は、ほどよく粘るように柳田氏を励ましていて、しばらく問題を引っ張っておいて、最後には庇わなかったということなら、ご両人ともなかなかの悪人であると同時に演技派だが、そこまで高級な意図が働いていた訳では無さそうだ。菅首相によると彼の内閣は「騎兵隊」らしいが、単に、鈍重な上に一番無防備な兵隊が最初に被弾したということだろう。