大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、第1次石油危機で得た教訓、企業行動の倫理的規範の欠如について考える。(坪井賢一)

スタグフレーションの最中に消えた
幻の旬刊誌「ダイヤモンド経済情報」

「経済雑誌ダイヤモンド」は1913(大正2)年5月に月刊誌として創刊され、1917年1月に月2回刊(1日、15日号)、1919年4月から月3回刊(1日、11日、21日号)となった。月3回刊を「旬刊」という。

 第2次大戦敗戦直前の1945年5月に戦乱の中で休刊、敗戦後の11月に復刊し、翌1946年9月から旬刊誌として完全に復活した。その後、1955年3月から現在の週刊誌として発行を続けている。

 ちなみに、先行していた「東洋経済新報」は1895(明治28)年に旬刊誌として創刊され、1919年から週刊誌として発行されている。

 高度成長期に入ると「経済雑誌ダイヤモンド」のページ数は大幅に増えることになった。経済情報の需要は増大していたので、「週刊ダイヤモンド」から企業情報を独立させて「ダイヤモンド経済情報」(隔週刊誌)を創刊した。1970年4月のことである。1973年には旬刊とし、さらに拡大していった。

 しかし、高度成長時代は終わりを告げ、1971年8月のドル・ショック、1973年10月の石油危機、そしてスタグフレーション期に入る。不況下の1975年3月、「ダイヤモンド経済情報」を休刊し、「週刊ダイヤモンド」に記者・編集者を統合することになった。

 つまり、旬刊誌「ダイヤモンド経済情報」は、高度成長の終末に「週刊ダイヤモンド」からスピンアウトし、ドル・ショックと第1次石油危機を体験してスタグフレーションの最中に消えていったのである(1973年から75年まで、二つの「ダイヤモンド」を毎月7冊発行していたことになる)。

 今回は、この「ダイヤモンド経済情報」から狂乱インフレ(1973-74年)の時代をのぞいてみる。