美人は目がきれいだ。これはよく聞く話だ。視力という意味ではなく、美人の目の良さには感心させられることが多い。

 この目の良さとは、「よく見ている」ということだ。視力というより視野なのかもしれない。なにげなく歩いていて、面白いものを発見して教えてくれたり、困っている人を見つけて助けてあげたり、遠くから危険なものを見つけていたり。そして、ちょっとしたいい話をたくさん持っている。

 多くの人が見逃しているだろうことをよく見ているのだ。別にキョロキョロしているわけではないし、話などに集中してないわけでもない。むしろしっかり見ている。それなのに発見が多い。視野が広いとしか言いようがない。

 多くのことに興味を持ち、多くのことを考え、多くのことと関わろうという意識なのだろうか。広い視野は知識も広げているようである。

「よく気づいたな」、「よく見ていたな」と言われている人はたいてい美人だ。

 日頃からよく見る習慣がついているように思う。

 一方、見逃すことが多い人はやはり「美人のもと」が減っていることが多い。たとえばクルマに乗っていて、「えー、どこどこ」といつまでも聞いていて、結局、話題のものを見逃すようなことが多い。

 こういう人はたいてい「見なかったことにする」ことが多い。

 たとえば、家の中で埃がたまっている場所を発見したとき。今は見なかったことにする。今度見たときに掃除する。会社でコピー機の調子が悪く、困っている人を見かける。でも、見なかったことにする。面倒なので。歩いていて、前方で何かを落とした人がいる。でも、見なかったことにする。その人が悪い。財布じゃないし。

 このように「見なかったことにする」ことを繰り返していると次第に「本当に見なかった」になっていくのだ。「見なかったことにする」のは、後味が悪いので自然と見ないようにすることが増えていく。そうなると自然と視野が狭くなり、発見する力が落ちていくのではないだろうか。

 誰もが面倒だと思ってしまう場面で、笑顔で対応できること。その笑顔は美しい。「美人のもと」を一気に増やすことだろう。そして、そういう機会に多く会うこと。それは広い視野から生まれるのだろう。