賛否両論、ボブ・ディランの
ノーベル賞受賞はありか、なしか?
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。この歳になって私にもボブ・ディランの偉大さがようやくわかってきた。
最初に「ボブ・ディランを聴け」と友人に勧められたのは確か中学時代。何がいいのかわからなかった。英語の歌詞がわからなかったからだ。
大学時代に『ウィ・アー・ザ・ワールド』の中で熱唱するボブ・ディランを見て、改めて「なんでこのおじさんだけ歌っていないの?」と思った。他のアーティストと違い、メロディーラインを無視してただひたすら歌詞をぶつける中年アーティスト。ただ不思議な魅力を感じて、それ以降、ボブ・ディランを聴くようになった。
ボブ・ディランがマイクに向けて叩きつける歌詞が理解できてくると、なぜ中学時代の友人がボブ・ディランをいいと言ったのかがわかってくる。彼は反逆の詩人なのだ。
私よりも20年以上昔の世代、日本で言えば学生運動、アメリカで言えばベトナム反戦運動の世代に、ボブ・ディランは大きな影響を与えた。その偉大な詩人が50年もの時を経て、ノーベル賞を受賞した。これはそういうニュースだった。
彼の受賞をきっかけに、ノーベル文学賞の枠が広がり、新たにまた別の音楽アーティストが候補にあがるのではないかという期待が高まっているが、どうやらそれほど簡単な話ではないようだ。
そもそもボブ・ディランの受賞に関しては、文学界では否定的な反応が少なくない。以前から「ボブ・ディランが候補に挙がっているらしい」という噂はあったのだが、「それは冗談だと思っていた」「ボブ・ディランは好きだが、彼は文学賞には値しない」と、名指しで批判をする重鎮たちがいる。
なぜかというと、文壇ではノーベル文学賞の待ち行列が意外と長いのだ。そもそも科学系のノーベル賞と違い文学賞は通常、1人しか選出されない。初期には複数受賞があったのだが、戦後では唯一1974年に、おそらく「地元スウェーデンだから」という大人の配慮で2人の文学者が同時に受賞した以外は、毎年文学賞に選ばれるのは1人だけだ。