幸一の全幅の信頼を得る

 渡辺は幸一の母・信にもかわいがられた。

「ナベさん、まだ今日会社残業か? いつ帰れるの? 今日な、水菜炊いたからな、うち寄ってご飯食べてから帰り」

 土曜日の夜など、室町の工場にそんな電話がかかってくる。すると二条の塚本家まで行って食事をごちそうになった。

 ところが帰ろうとすると靴がない。能交のいたずらである。しょっちゅう出入りしているから能交もすっかりなついてくる。まだ幼稚園に行く前のことであった。

「なんで隠すん?」

 と聞くと、ついていきたそうにしている。

 ちょうど土曜日だということもあり、

「ほな連れていったげるさかい、出し」

 と言うと、嬉しそうにぱーっと走って行って隠していた靴を出す。

 そして良枝に断って、能交を例の2階借りしている借家に連れて帰った。

 翌朝の日曜日、1階に置いてある洗濯機で洗濯している間、定規でふすまにつっかい棒をしてから洗濯をはじめたという。2階から能交が出てきて落ちたら大変だからだ。

 そして日曜日の夜に能交を家まで送って帰った。

 こうした話は渡辺に限らない。社員はみな能交の家族だったのだ。

 後年、提携工場を各地に作っていったが、その工場選定も渡辺の仕事になった。渡辺が決めてから幸一が確認に行くのである。

「おまえが決めてくる工場は温泉の近くが多いなあ」

 そう言って笑っていたが、渡辺の決めた工場にだめ出しはしなかった。

 トリーカという下請け会社が岡山県津山市にブラジャー工場を作る際、渡辺が最初に行った指導は、

「ご飯粒を落としても、拾って食べられるぐらいきれいに掃除してください」

 だったという。

 厳しい指導の甲斐あって、その後、工場は順調な立ち上がりをみせ、渡辺に感謝した社長は後年、自宅まで訪れて感謝したという。

 そんな渡辺の頑張りを、幸一は人づてに耳にしていたに違いないのだ。

 幸一の全幅の信頼を得て、後々まで渡辺あさ野は、いい意味で社内に君臨した。人事権を握ることなく、技術指導で社内をリードし続けたのだ。

 彼女が技術課長の時など、もうワコールは大会社になっていたが、役員だろうがなんだろうが電話一本で平気で呼び出す。呼ばれた方の部長や役員は彼女の前に直立不動だ。

 呼び出した当の本人は椅子から立つ気配もなく、大きな声でしかり飛ばすというのが日常だったという。

(つづく)

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