私たちはどのように環境保護と向き合えばいいのか
こうした環境の評価法に対して、現実的な環境政策を思索する「環境プラグマティスト」はどう考えるのでしょうか。その代表的な主張者の一人ブライアン・ノートンは、2005年に大著『持続可能性―適応的生態系管理の哲学』を出版して、環境と経済との統合をめざしています。たとえば、ノートンは次のように語っています。
私は、たいていの環境倫理学者たちのように、経済学を環境評価の基礎とすることを拒否することはしない。むしろ、私は経済学が環境評価に関して、ある重要な観点を提供していると信じている。
この点は、CVMと呼ばれる「仮想評価法」についても変わりません。ノートンによれば、環境に対する「経済学的アプローチや仮想評価研究の価値」は、否定することができないのです。それにもかかわらず、ノートンは環境の経済学的アプローチに対しては、批判的な態度を表明しています。その背景にあるのは経済的評価法だけで環境の価値をすべて汲みつくしえる、という考えに対する違和感です。
生態系サービスを貨幣額によって評価することは、環境の価値を経済的視点からのみ取り扱うことを意味します。従来の発想では、環境の価値は経済の外部にあると考えられてきました。ところが、今や環境の価値が経済学の視点から理解可能になったわけです。そのため、経済学が環境を包括しているように見えます。しかし、こうした手法は、ノートンにとっては、従来(非人間中心主義)とは全く逆の立場から、「一元論」が復活したように映るのです。
これに対して、環境プラグマティストであるノートンは、「一元論」を厳しく斥け、多様な立場や評価を許容する「多元論」にコミットするのです。
われわれは、すべての文化が自然や自然過程を多くの仕方で価値評価する、という多元論的観点から出発できる。われわれは、第一歩として、こうした多様な価値を表現するのに十分豊かなボキャブラリーや機能的尺度を発展させなくてはならない。われわれはこうして、多元論を作業仮説として構想するのである。
多元論を具体的に理解するために、たとえば水鳥の生息地となっている湿地を保護すべきかという問題を考えてみましょう。人間中心主義の立場に立って、その湿地を開発した方がいい、と主張する人もいます。また、狩猟の楽しみから、むしろ湿地を保護すべきだ、と主張する人間中心主義者もいるでしょう。あるいは、その地域の生態系を守るために、非人間中心主義の立場から自然保護運動を進める活動家もいます。これらの人々は、それぞれ異なる価値評価から、同じ問題に取り組むわけです。
こうした多元論の立場からすれば、生態系サービスの貨幣額による評価は、環境の価値に対する一つのアプローチではあっても、それだけで環境の価値をすべて包括できるわけではありません。ただ一つの基準だけで環境の価値を評価できると思うのは、けっきょく一元論的な還元主義に他ならないのです。とすれば、環境の価値を考えるとき、経済的な分析とは異なるアプローチが必要ではないでしょうか。