大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、1960年代高度経済成長期を人口移動の面から読み解く。(坪井賢一)

わずか5年で所得倍増!
高度成長の条件は揃っていた

 1958年前後から1973年まで、日本は歴史的な高度成長時代を過ごした。ちょうど現在の中国のような状況だ。十分な労働力が地方から供給され、資本の蓄積が進み、為替レートは固定相場で円安だった。人口は増加し、大都市への集中が進む。

 高度成長の条件はそろっていた。

 GDP成長率と名目実額の推移を整理すると、

 高度成長を政策として取り上げたのは1960年7月に就任した池田隼人首相だ。9月に「所得倍増計画」を発表する。名目GDPの実額を見ると、1965年、つまり5年間で倍増となり、早々と目標を達成していることがわかる。

 これから日本の1960年代高度成長期について、「週刊ダイヤモンド」を逆引きしながら探検してみるが、今回は1960年代の日本人の原形を考えてみたい。