江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当になのだろうか?
ベストセラー『明治維新という過ち』の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸』が話題沸騰中の著者に、江戸の浮世絵とある人物についてのエピソードを聞いた。

「ヒロシゲブルー」のすごさ

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

 世界の映画人は、雨の量や色に驚いたわけではない。雨が降るという現象にこれだけリアリズムを注いだ映画は、それまで存在しなかったのである。

 そもそも「雨を描く」という発想が、西洋絵画には永く存在しなかったのである。
実は、これを試みて成功したのは、浮世絵の安藤広重(歌川広重)であった。雨を線で描いてみせたのである。

 印象派のゴッホやモネのほか、アールヌーヴォーの芸術家たちにも大きな影響を与え、大胆な構図と「ヒロシゲブルー」と呼ばれる独特の藍色で十九世紀後半のヨーロッパにジャポニズムと呼ばれるムーブメントが生まれる大きな要因となった広重という絵師は、その頃から既に日本人が考えている以上に世界的に著名な芸術家であったのだ。

 広重は、代表作『東海道五十三次』(天保四・1833年)に於いて三つの宿場に雨を降らせている。

『大磯・虎ケ雨』では左上から右下への斜線で、『土山・春之雨』では上から下へ真っ直ぐに、いずれも細い線で雨を表現したのである。

『庄野・白雨』は風雨が強く、風を描いたともいえるだろう。

 これらの作品以上に有名な雨の作品が、『名所江戸百景』百二十枚の一つ『大はしあたけの夕立』である。

 ゴッホは何点かの広重画を模写しているが、ゴッホの模写としても、この「大はし」の夕立が有名である。

 広重の描いたやや右上から左下へ流れる線が実に細密であるのに対して、模写という前提でみてもゴッホのそれは粗くて線とはいい難い。

 広重だけでなく、北斎、豊春(とよはる)、そして若冲(じゃくちゅう)など世界の芸術家に影響と驚きを与えた絵師は数多くいるが、黒澤は明らかに広重の雨に想を得ている。