人間の生き方の根本に
シンプルに訴えかける古典

──働くことの意味や指針を考える際に、孔子の「論語」を中心とする中国の古典を引いておられますね。それはどうしてですか。また、どのようなきっかけで中国の古典に惹かれるようになったのですか。

えがみ・ごう/1954年生まれ。77年早稲田大学卒業後、旧第一勧業銀行(現みずほ銀)入行。97年「第一勧銀総会屋事件」で混乱収拾に尽力。2002年『非情銀行』で作家デビュー。03年退行。経済小説、ビジネス書など著書多数。

 古典というのは何千年も生き残ってきています。それは人間の生き方の根本にシンプルに訴えかけるからだと思います。中でも孔子は、乱れた世に弟子たちと飢え死にするほどの苦難に満ちた流転の中に生きてきました。世に受け入れられなかったからです。きっと本人は色々な恨み辛みがあったと思います。

 論語を読むとそんな孔子の思いがビンビンと伝わってきます。そんな人間的な、あまりにも人間的な生き方がサラリーマンであった私に力を与えてくれたのです。私がそうであったように論語は、サラリーマンや組織の中で多くのハラスメントに苦しむ人に生きる力を与えるのではないかと思っています。

──あとがきにもあるように、江上さん自身も、第一勧銀の総会屋事件の解決に取り組んだり、その後、銀行を退職して小説家になり、一方、取締役を務めていた日本振興銀行が破綻するなど、毀誉褒貶というか起伏の大きい人生でした。その時に当たって、どのような心構えで臨んできたのですか。その際、古典(論語)は、どのような形で自身の判断や行動のよりどころになりましたか。

 私は論語の中で「徳は弧(こ)ならず必ず隣(となり)あり」(里仁)が大好きです。まっすぐさえ生きていれば、人は私を見捨てることなく支援してくれるというこの言葉を信じて生きてきました。どれだけ力になったかわかりません。実際、日本振興銀行の破綻処理などでは、死んだ方がどれだけ楽だろうかと思ったことさえありましたからね。

 ある事件で大変な苦境に立たされた友人がいて、彼にこの言葉を教えました。後日、彼に会った時、「江上さんから『徳は弧ならず必ず隣あり』の言葉を教えられ、念仏のように唱えていたら苦境を脱することができました」と晴れ晴れとした顔で言われました。古典というのはこんな偉大な力があるんです。