「二度と過ちは繰り返しません」
という奇妙なフレーズ

 ところが、一人近代日本人のみが、これを行っていないのである。
 いや、例えば、広島、長崎への原爆投下という悲劇について、
「二度と過ちは繰り返しません」
 と誓っているではないかという反論があるかも知れない。

 しかし、これは実に奇妙なフレーズである。

 私どもの世代は、幼い時からこの言葉を嫌というほど聞かされて育ち、今も八月になるとこの言葉はメディアを通じて露出頻度が高まる。
 少年時代の私は、これを唱える日教組の教師に激しい反撥(はんぱつ)を覚えたものである。

 このフレーズにいう「過ち」とは、何のことか。
 原爆投下のことか。
 いや、だとすれば、私たち日本人が「繰り返しません」と誓うのはおかしいではないか。
 それを誓う必要があるとすれば、それはアメリカ合衆国国民であろう。
 あの二発の非人道的といわれる殺人兵器を日本人に対して使用したのは、アメリカ人である。

 このことは、明々白々な事実であり、つい昨日のことであって「アメリカ人が原爆を投下した」という事実については、何人(なんぴと)もこれを否定することはできないのだ。
 いや、この場合の過ちとは、原爆投下を招いた戦争のことをいっているのだとする見解がある。

 恐らく、このフレーズの解釈としてはこれが主流であろう。
 二度と他国を侵す戦争は止めようというだけなら、私も全く同意である。
 そもそも特定の偏った思想をもつ者を除いて、侵略戦争賛成などと考える者がいるはずがないではないか。

 ところが、先のフレーズが「原爆投下を招いた戦争」のことをいっており、日本人として二度とそういう過ちを繰り返さないでおこうと誓っているのだとすれば、私たち日本人は原爆投下は私たち日本人にそもそもの原因があると宣言していることになる。
 自分たちがあの戦争を仕掛けなければ、原爆投下はなかったのだと。つまり、悪いのは私たちであったと悔いているのだ。