ルーズベルトとトルーマンの正体
もし、あのフレーズの意味するところがそうだとすれば、冗談ではない。
繰り返すが、原爆を投下したのはアメリカ人である。
私は、原爆投下だけではなく、東京大空襲も、大阪、名古屋、徳島、青森、富山等々、日本列島各都市への空襲も、武器も何ももたない非戦闘員を無差別に殺戮することを明白に意図して行っている点で、重大な戦時国際法違反であり、「人道に反する重大な戦争犯罪」であると認識している。
つまり、ルーズベルトやトルーマンは、ヒトラーと全く同列の戦争犯罪人であるということだ。
因(ちな)みに、市民への無差別空爆によって死傷者を一人も出さなかった都道府県は数えるほどしかなく、それは、文字通りの絨毯爆撃であった。
こういうことをいうと、直ぐ私が大東亜戦争を賛美していると非難するのが戦後日本人の一般傾向であるが、それは非論理の極みと心得るべきであろう。
現実に、私はこのことで火炎瓶、硫酸瓶、塩酸瓶の標的にされてきたが、私が指摘しているのは、米軍による非戦闘員の無差別大量殺戮のことであり、そもそも大東亜戦争に走ったのは何故かという問題とは全く別に扱うべきアメリカの国家犯罪であるということなのだ。
即ち、大東亜戦争に走った原因、歴史的背景を具(つぶさ)に検証して世界の後世に資するかたちで整理、引き継いでいくのは私たちの民族としての仕事であり、それに対して原爆投下に代表される戦争犯罪は、独立してアメリカ人が戦争犯罪人として裁かれるべき問題であるということなのだ。
ここに、戦の勝者が歴史を書くということについて二つのことが混在している。
そして、それは今もなお全く検証して整理されていないのである。
昭和二十(1945)年以降、日本の教育、特に歴史教育を支配してきたのはGHQ(連合国軍最高司令部総司令部)である。
この問題は、それこそ今日の読者諸兄の生活、子どもたちの学校生活のあり方に直結する問題であり、本書の全編をこれに費やしてもまだ事足りないことだが、次回、簡潔に述べよう。