2010年秋、私は知人の紹介もあって業界団体の方々とH5N1鳥インフルエンザワクチン、すなわちプレパンデミックワクチンを製造する工場へ見学に行く機会があった。

「この施設は戦後間もないころ建てられたもので、水痘ワクチンを開発した歴史もあり、そのワクチンは世界中で使用されています」

 と工場長に説明を受けた。

 最近ではインフルエンザワクチン以外に子宮頸ガンを引き起こすヒトパピローマウイルス・ワクチンの海外メーカーの認可が社会的機運のもとで進められ話題になった。ワクチン工場の精製施設の案内で「こちらでは養殖用に、魚のワクチンも製造しています」と工場長。「さかな? 魚にワクチンですか?」と思わず質問した私。「魚を養殖するとある時期にいっせいに病気になり、死んでしまいます。白点病などで、薬を撒くと環境問題になりますので、ですから一匹、一匹、ワクチンをうちます」と工場長。

 見学に来た業界団体の数名、全員が驚きの表情。「稚魚を海外で育て、ワクチン接種したものを、日本へ輸入します。たとえば、ブリやマダイなど」と。口蹄疫が流行した際、感染疑いの牛にワクチン接種し、感染の発症を抑えながら屠殺するというニュースが報じられていたことを思い出す。一方、鶏、豚や牛など限られた狭い空間で飼育する動物に対しても効率よく飼育し、人間の食材として育てるためにワクチンがうたれる。当然その生き物の命は経済動物として資産価値を生み、人間の都合で取引されるのだが。

 一方、われわれ自身を振り返ると子供のころに三種混合ワクチンや天然痘ワクチン、ツベルクリン反応やBCG注射をうたれたことを思い出す。特に、ツベルクリン注射では自分の番を待つ間に、前で仲間たちがうたれる注射針を見つめ、注射液の目盛ひとつが一人分で、同じ注射、同じ注射針で打たれた記憶がよみがえる。結果として、幼かったわれわれの多くが、さまざまな疫病から逃れ、大人になることができた。動物へのワクチン接種は食材確保であり、人へのワクチン接種は病魔で淘汰されないための必要な手段となっている。

 ある日、「ちょっと、家族のことで相談したいことがあって」と友人のMさんからの電話。その内容とは寝たきりで、意識がないお母様がおなかの外から胃に管を入れる胃管挿入の手術を病院で薦められ、さらに別の病院への転院の話をされたという。「これからの長期療養生活の中での栄養管理上のためのもので、さらに強制栄養を可能とするもので…」と答える私に「お母様を餓死させることはできないでしょう、とお医者さんから言われたもんで」と困惑の言葉が返ってきた。「致し方ないとは思うけど、お母様の元気なころの意向とか、これからのご家族の覚悟とか話し合って決める以外ないと思うけど」と答えるしかできなかった私。