波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。


覚悟の対峙──[1999年3月]

 事業売却の商談が進むなかで、僕は最後の難問解決にとりかかっていた。

 それは、すでに事業面では分社していた岩郷氏との関係をきれいに整理することだった。この解決なくして事業売却はあり得なかったからだ。義父から紹介された弁護士に依頼し、彼とのあいだにある複雑に絡み合った糸をひとつずつほぐしていった。

 役員向けに購入した社用車は、岩郷氏に譲渡したポルシェを除き、この時にすべて売却した。窮地を救ってくれた岩郷氏には恩義を感じていたが、資金負担があまりにも重すぎた。また、分社化以前に僕と福田、岩郷氏の3人で交わした数十通におよぶ公正証書や契約、覚書が僕たちの行動を縛っていた。そのほとんどは、岩郷氏の報酬・待遇・マンション・車などに関するもので、毎週のように意向が変わる岩郷氏から書面での合意を要求されたものだった。弁護士は僕と福田から何度も聞き取りを行い、彼との関係を時系列にまとめて、問題点を整理してくれた。

 最も困難を極めたのは、岩郷氏が住む青山にある高級マンションの対応だった。名義はフレックスファームであり、銀行への返済もフレックスファームが行っている。しかし彼はそこに住むことを自らの権利と考えており、分社化した以降もそのマンションに住み続けていた。

 僕はそれまで、この問題で岩郷氏と神経戦をするほどの胆力を持ち合わせていなかった。それを伝えたら何が起こるのか。思いもよらない波乱が起きるのではないか。どんな面倒な事態に陥ってしまうのか。そう考えただけで恐ろしかったからだ。だが、今を逃しては、この問題を解決することはできない。僕は現実からの逃避をやめ、弁護士の力を借りて、この問題に真正面から取り組む決意を固めた。

 事業売却の契約を締結する直前まで難儀な交渉が続いたが、最終的にはマンションを売却し、岩郷氏がそこを出て行くことで合意した。

 弁護士の事務所で最後の手続きが行われた。

「じゃあ、これにサインして。これですべてキレイになったという合意だからね」

 弁護士は、念を押すように岩郷氏に言った。

「岩郷さん、長いあいだ、本当にお世話になりました」

 彼がいなければ、フレックスファームは確実に倒産していただろう。岩郷氏は間違いなく恩人なのだ。だが、あまりにもいろいろなことがありすぎた。フレックスファームがまともな会社として成長するうえで、このマンションの存在も許されなかった。資金負担が大きすぎたのだ。

「社長、わしはまいったよ。今回は――」

 岩郷氏は、最後に笑った。僕が断固たる決意で臨んでいることを彼は知っていた。

「すみません。岩郷さん。これからもお元気でがんばってください」

 それが、岩郷氏との最後の会話となった。

 マンションの売却価格は1億3000万円、購入時の金額が2億円だったので、この売却だけで7000万円の特別損失が出たが、代わりに大きな負債がなくなった。倒産の危機に助っ人を依頼してから約6年、岩郷氏と僕は、この日を境に完全に袂を分かつことになった。