波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
イケテル・スーパーダイヤル──[1998年2月]
「斉藤さん、どうですか、元気ですか?」
1998年2月下旬のある日、日本IBM時代の後輩で、2つ年下の久木田修一くんから電話をもらった。久木田くんは僕とほぼ同時期に日本IBMを辞め、光通信に入社していた。まだ同社の社員が数十名の頃の話だ。
「おー、ご無沙汰だねえ。元気だった?」
「めちゃ元気ですよ。斉藤さんは?」
そのひどく懐かしいダミ声で、たちまちIBM時代の記憶が鮮明に甦った。職場の選りすぐりの悪ガキたち10名弱が自然と集まってできた「恥部」グループのことだ。
IBMは優秀な人材が集まるエクセレントカンパニーだが、同期が2000人近くいる大所帯だったから、どうしても変人が混ざってしまう。学年が2つ上だった僕は「恥部リーダー」と呼ばれていたが、久木田くんこそが恥部の中核メンバーだった。
当時のオフィスは六本木だったので、仕事が終わると自然と夜の街に繰り出すことになる。薄めのビジネスバッグを片手で皿のように持ち、六本木の交差点で信号待ちしている女性たちに向かって「いらっしゃいませー」と器用に声をかけてゆく。恥部グループは、そんな自由奔放な遊び仲間だった。
「どうにかがんばってるよ。突然、どうしたの?」
「斉藤さんのとこって、たしかダイヤルQ2のサーバーつくってましたよね。ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだけど」
「もちろん、いつでもいいよ」
電話の後、僕たちは六本木の居酒屋で久しぶりに再会した。
久木田くんはすでに光通信の取締役として、携帯電話関係の営業を統括するポジションに就いていた。部下は数百人ほどだろうか。彼が言うには、携帯販売の傍ら、通話料収入を伸ばすために、携帯キャリアと組んで電話情報サービスを開始したという。それが「イケテル・スーパーダイヤル」だった。
携帯電話から「♯9991」にダイヤルすると、音楽とガイダンスが流れ、番組がはじまる。一見すると、出会い系サイトのようだったが、掲示板が男女で分かれているわけではない。見知らぬ仲間と「お題」を出し合って楽しむ、そんな人たちが集まって盛り上がる電話コミュニティだった。
イケテル・スーパーダイヤルはたちまち大ヒットしたらしい。なにしろ最強の営業力を持つ光通信だ。携帯キャリアが提供するシャープダイヤルという番組群のなかでも圧倒的な人気を誇り、すでに数百回線が同時着信できる回線センターで運営しているという。全盛期のダイヤルQ2業者と比較しても、規模は光通信が上回っていた。
「相談というのは、今度新しく立ち上げる同じような番組で協力してほしいなと思って」
久木田くんの提案は、まさに渡りに船だった。特に魅力的だったのは、初期に必要な音声応答システムを大量に購入してもらえるうえに、売上の一部をシェアしてくれることだった。その代わり、番組やシステムを常に更新したいので、その体制をとってほしいという。なんとありがたい提案だろう。僕の心はときめいた。
「もちろんやるよ。売上のシェアって何割なの?」
「今の番組では、光通信が7割、業者が3割です」
「じゃあ、ウチは2割でいいよ。機器代は別だから、それで大丈夫。体制もしっかりつくるから――」
これは、僕から彼への精一杯の感謝の気持ちだった。
「おお、それは助かります。で、ものすごく突然なんだけど、3月27日からスタートしたいんですよね」
めったにことには動じなくなっていた僕だったが、これには思わず仰反った。わずか1ヵ月で、高度で大規模なシステムをゼロから開発しなくてはいけないのだ。大手システム開発会社であれば、一億円はかかると言われておかしくない規模感なのだ。頭のなかでいろいろな算段が走っては消えてゆく。
「あと1ヵ月少々か……。全力であたるね。ちょっと社内で打ち合わせて、明日には電話するから、一日だけ待ってもらえるかな」
口ではそう言いながら、僕の心は決まっていた。久木田くんは僕を信じて重大な意思決定をしてくれた。人生、意気に感ずだ。信頼には信頼で応える。できるかできないかを考える時間さえもったいない。できることをすべてやるだけだ。その時、僕のなかの猪武者はすでに走りだしていた。