居住国以外の国で医療サービスを受けるために、患者が海外渡航する「医療ツーリズム」。ここ数年、中国という巨大市場を狙い、タイ、マレーシア、韓国など、特に東アジア地域で大きな注目を集めており、一種の国策として取り組む国も登場している。
少々出遅れ感のある日本でも、2010年6月に発表された「産業構造ビジョン2010」にて、戦略5分野の中に「医療ツーリズム拡大」が盛り込まれるなど、取り組みがようやく本格化。同年12月には、菅直人首相が外国人の「医療ビザ」を新設することを決定した。滞在期間が最長3ヵ月と長く、何度も申請できるビザの設立によって、中国の富裕層が医療目的で来日する機会を増やし、それによる経済効果が期待されている。
また、こうした国の動きに先行し、自治体主導で外国人患者の受け入れを組織的に行なう地方自治体や、JTBなどの旅行会社が専門部署を設け、医療目的で訪れる外国人に必要な手続きやスケジュール調整を代行するサービスの提供を開始するなど、すでに多くの取り組みが開始されている。「医療ツーリズム」は、閉塞する経済情勢の中で決して多くはない「成長分野」の1つとして、多いに注目を集めているのである。
その一方で、肝心の医療現場は、必ずしも「医療ツーリズム」に諸手を挙げて賛同しているわけではないようだ。
3月に発表された会員制の医師向けコミュニティサイト「MedPeer」にて実施された「日本への医療ツーリズムにおける保険適応について」というアンケート結果では、アンケートに答えた医師の50.7%が「合併症などのリスクに備えるための保険に、施設・患者ともに加入すべき」と回答し、「受け入れる施設が保険に入っていれば患者は加入しなくてもよい」の9.6%を大きく上回った。
この結果からは、「リスク」や「トラブル」をヘッジする枠組みの不備を危惧していることが明らかになったと言えるだろう。また、医療ツーリズム全般についても、「外交問題になりかねない」「地域医療が疲弊しているさなかに受け入れは不可能に近い」などという批判的なコメントが多く、積極的に受け入れる姿勢は、ほとんど見られなかったという。
そもそも、社団法人日本医師会は、前出の「産業構造ビジョン2010」にて「医療ツーリズムの拡大」がうたわれた当時の記者発表などで、「営利企業が関与する医療ツーリズムには反対である」という声明を発している。その理由の1つが、「医療格差の拡大」だ。
医療ツーリズムで日本を訪れる外国人は、全額自己負担で診療を受けるため、医療機関にとっては保険事務の必要がなく、現金収入にもなる。営利目的の運営の下では、こうした患者が優先的に扱われることになり、医療格差を拡大する恐れがあるというのだ。
経済成長の数少ない切り札として、「医療ツーリズム」というカードを切ろうとしている国、地方自治体、産業界。一方で、危惧の声が挙がる医療現場。「医療ツーリズム」は、いわば「医療技術」という知的資産を「商品」として外貨を獲得しようという動きだ。その資産を有している医療現場の協力なしでは、「笛吹けど踊らず」の危険性が極めて大きいように思える。
国や産業界の取り組みを傍目から見ている限りでは、ちょっとしたブームのようにも思える「医療ツーリズム」だが、その発展が地に足の着いたものとして実現されるためには、克服すべき対立や課題は少なくないのが現状のようだ。
(梅村千恵)