一つの街を丸ごと飲み込む巨大な津波、肉親の姿を求めて避難所を捜し歩く被災者の姿、そして愛する人との再会に号泣する人々、どの映像を見ても思わず目頭が熱くなる。美しい海岸線を誇っていた街が、余りにも無残な姿になっているのをみれば、胸がぎゅーっと詰まる。

 その一方で、東電福島第1原発事故の行方を、すべての日本国民が固唾を呑んで見つめている。

 われわれは、被災者の本当の悲しみや苦しまでは理解できないとしても、彼、彼女らに強い共感を覚える。この相手の気持ちを思いやれる能力こそ、人間の持つ素晴らしさであり、日本人は他者に対するを思いやりの気持ちが強い。だからこそ、いまわれわれ日本人は、多くの被災者のために、何かしたいという気持ちにかられている。

 翻って、政治家をはじめとする指導者たちは、果たして、その気持に応えているだろうか。共感を力に変えるには、まずリーダーたちが何よりも「常識」を持って考え、行動し、国民が本当に知りたい情報を伝えることによって、信頼を勝ち得ることが大前提となるが、それに成功しているとは言いがたい。

なぜ当初から最悪の事態を
想定した対策ができないのか

 最大の問題はなんと言っても、福島第1原発事故への対応である。冷却装置が機能していないという第1報がもたらされたときから、少しでも原発の知識がある人なら、最悪の場合は原発が大きな被害を受け、大量の放射性物質が、外部にばら撒かれてしまうのではないかと思ったはずである。

 当事者である東電が、もっとも事態を掌握していたはずだ。危機管理は最悪の事態を想定して動けといわれる。結果論ではなく、政府・東電はそのように動いたとは評価できない。