不良債権問題では、この点こそがもっともっとシビアに問われなければならなかったのかもしれない。だがあの時代、結果的に、預金者が直接損をすることはなかった。国が守ったからである。公的資金、つまり税金によって、損をしないように預金者が守られたのである。結果として、預金者の「当事者」感覚は薄れてしまった。だが、その税金はどこから来ているのか。結局は国民一人ひとりが負担をした、ということなのではないか。松本さんは語る。
「とにかく安全第一、と人は銀行にお金を預ける。お金を大切にしたくて預ける。でも、そのお金は実は銀行に貸していた、銀行にとっては借金だったということです。そしてそれは、果たして本当に大切にされていたのか。大切に使われていたのか。不良債権のビジネスを始めた頃から、個人のお金というものに、だんだんと目が向くようになっていったんです」
預けたお金が無駄な公共事業に化けている?
金融機関が日本の「国債」を買うということ
次に松本さんの目が向かったのは、郵便局だった。銀行の預金が不良債権に化けている状況があった。では、当時は完全な国営だった郵便局の貯金はどうだったか。
「郵便局でも、構図は同じでした。今度は銀行に貸しているわけではなく、国に貸していたんです。バランスシート上は、国の借金だった。ではそのお金はどこに行っているんだろう、と思ったら、財政投融資という形で国がお金を使っていたんです」
200兆円を超える規模を持っていた郵便貯金は当時、旧大蔵省にそのまま吸い上げられ、国の一般会計とは別の第二の予算として特殊法人などに流れ、高速道路や空港などを建設する大型事業に使われていた。この仕組みが、財政投融資だった。
しかし2001年、特殊法人の無駄遣いや天下りなどが問題となり、財務省にそのまま吸い上げられる仕組みは廃止。郵便局は資金を自分たちで運用することになった。だが、運用経験のない郵便局に巨額の資金運用ができるはずもなく、結局、財政投融資を証券化した「財投債」という名の「国債」が運用先となっている。郵便貯金が財投債を買い上げることで資金はそのまま財務省に流れ、特殊法人に流れ続けているのだ。