みんなが銀行や郵便局への預貯金に励む日本では、金融の仕組みが極端な間接金融偏重になっている。このいびつな構造は、実は戦後、国の政策によってつくられたのではないか、というのが前回の話だった。では、こうしたいびつな構造に、誰も警鐘を鳴らさなかったのだろうか?
まず、直接金融の国と思われているアメリカの歴史を見てみよう。
「今、日本で起きているようなことが、1970年代に、アメリカで起きていたんです。わかりやすく言えば、個人から集めたお金を国がまとめ、集中的に投資をしていた」
何が今後の経済成長につながり、国を引っ張っていくか、ということがわかりやすい時代には、このスタイルで良かった。だが、次第にそうではなくなっていく。
「何が次世代の経済を牽引するのか。それこそ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、という状況になってきた。しかし、この当たらないリスクを国が背負ってしまった場合、これはとんでもなく大きなリスクになる」
このリスクを国として抱えるのは極めて危険だ、とアメリカは判断したのである。国の借金が大きくなりすぎてしまうリスクだ。国は自分でリスクを負いきれなくなり、それを個人に委ねていくしかない、と考え始めた。