放射線急性障害による死者28人、急性症状から回復後の死者19人は、10日間の消火活動従事者、核燃料冷却作業要員の犠牲者だ。線量計も持たず、まともな防護服も着ないで作業している様子は、その後の記録映画などで見ることができる。事故の原因はともかく、地球市民は犠牲者にあらためて心から感謝しなければなるまい。

 5000トンの材料は空軍のヘリコプターで投下された。指揮は空軍のアントキシン大将がとったという。軍の最高級幹部が指揮官だったわけだ。初日に消防隊、2日目には軍が出動している。

 福島事故発生以降、各地の放射線濃度を見ると(★注②)、3月16日に非常に高くなり、徐々に減衰していることがわかる。

 3月21日から23日にかけて、再び急上昇して3月16日レベルの半分まで濃度が上がり、その後はまた減衰している。4月11日現在、福島県と水戸市を除いて、放射線濃度は通常のレベルまで下がっている。

 3月16日と3月21日-23日はなぜ各地で放射線濃度が上がっているのだろう。

 まず現象だけを原子力安全・保安院の資料で見ると、

・1号機で3月12日15時36分に爆発音
・2号機で3月15日6時10分に爆発音、3月14日11時01分爆発音
・4号機で3月15日火災発生、と原子力安全・保安院の資料に記載されている

 1号機と3号機の爆発音は水素爆発で建屋が吹き飛んだもの、2号機の爆発音はサプレッションプールで起きたとされている。つまり、3月16日の放射線濃度上昇は、これらの爆発によるものだったことがわかる。その後、東京でも雨で濃縮されて水道水に入り、千葉県の野菜に付着することになった。