日本人はいつまでも変わることなく、政府による“統制経済のしもべ”であり続けるのだろうか。そして、この素朴な疑問に対して、大手メディアがいっさい議論を起こそうとしないのはなぜなのだろうか。

 私たちは戦後初めて、電力喪失社会に遭遇した。東日本大震災で福島第一原発が世界史に残る事故を起こし、使用不能になった。火力発電施設なども損壊し、他の電力会社も被害をこうむって、電力安定供給という日本の戦後のエネルギー政策の根幹が崩れた。

 震災前の社会の電力使用量を前提にすれば、電力供給量は不足するに決まっている。突然の事態に度を失った東電は、「ほとんど政府に相談のないまま、一部の産業界と話し合っただけ」(経済産業省幹部)で、計画停電に入ってしまった。

 計画停電は、需要家を地域別に大別し、業種特性や電力使用量の大小などお構いなしに、一律に電気を落としてしまう、というあまりに乱暴な方法だったから、社会のあらゆる部分で混乱をきたし、経済活動を低下させるだけでなく、人の命まで脅かしたから、轟々たる批判が起こった。

 政府は、野蛮なる計画停電を原則廃止する代わりに、今度は自らが前面に立つことにした。年間使用量のピークに達する今夏には大停電もありうると海江田万里・経済産業相は警告、石油危機の1973年以来、37年ぶりの電気事業法27条に基づく電力使用制限令の発動も辞さない構えを示した。早くも経産省は、大口需要家は瞬間最大電力を平年に比べ25%減、小口需要家は20%減、という義務を課し、家計には15%の節電を呼びかける。政府による総量規制である。

 計画停電にしろ総量規制にしろ、強制的需要削減政策であることには変わりがない。政府(および東電)による事実上の命令であり、統制経済あるいは計画経済と呼ぶべき政策である。