バブル景気に馴染めなかった伊藤隆嗣は、上海華盛大学に語学留学した。親友に誘われて参加したクリスマスパーティーで、辛辣な体制批判をする江立芳と出会い、互いに惹かれ合うようになる。18年後、隆嗣は上海に事務所を構え、三栄木材の中国ビジネスアドバイザーを務めるようになっていた。
三栄木材のマレーシア駐在員・山中幸一は、本社からの指示で、業績不振のマレーシア材の輸入停止を余儀なくされる。
(1988年4月、上海)
ジェイスンが肉を頬張りながら詮索を続ける。
「で、彼女とはどこまで進展したんだよ、ロン」
「どこまでって、どういう意味だよ」
隆嗣はグラスを置きながら問い返した。レモンの雫を加えられたミネラルウォーターが口中に浸透し、水はこんなに美味しいものかと実感する。学生宿舎の水道は当然飲めないし、もし飲んでしまったら終日臭いトイレで過ごすはめになること間違いない。友人同士の他愛もない会話は続く。
「それはつまり……深い仲になったのか、ってことさ」
「ジェイ、君はいつからゴシップ記者になったんだ」
「ノーコメントを通すつもりか、まあいい。それより、俺にもチャンスを作ってくれよ」
「なんのチャンスだよ」
「中国人学生の可愛いお嬢さんと、お近付きになれるチャンスさ」
「おいおい、君はマドモアゼルと仲良くしていたじゃないか」
ジェイスンは、中国の古典に興味を抱いてフランスからやって来たブロンド嬢にご執心だった。
「それが、あなたたちアメリカ人からは文化の香りがしないの、って言われてね。馬鹿にするな、今はアートだって詩人たちだってニューヨークが聖地なんだ。古いものだけを認めると言うのなら、老人ホームへ行って男を捜せって……」
「そう言ったのか?」
「いや、心の中でそう叫んだだけ。今回は撤退して、別の方面へ作戦を展開しようと参謀本部で検討しているんだ」
「だいたい君はカンザス州の出身だろ? ニューヨークへは行ったこともないと言っていたじゃないか」
「いずれ行くつもりさ。それより参謀総長殿、是非作戦を建てて欲しいんだが」
「参謀会議は後回しにして、まずはご馳走が冷える前に食事を済ませよう。共産主義社会から西側陣営へしばし戻ったつもりのささやかな贅沢なんだ」