(2008年11月、上海)

 機体はわずかな衝撃を身体に伝えただけで、なめらかに夜の滑走路へと降りた。予定よりやや早く、午後10時を数分過ぎたところだ。

 浦東空港の多数あるブリッジの一つに接続されると、ファーストクラスの乗客が最初に出口へと案内された。アテンダントが「グッバイ、再見」と英中双方の言葉で別れを告げていた。

 ゲートからイミグレーションまで続く長いターミナルの通路を並んで歩く二人。着陸以降、口を結んだままで険しい顔をしている隆嗣へ、李傑が不安な目を向けた。

「どうしたんだ。飛行機酔いか?」

 しかし、隆嗣は押し黙ったまま歩き続けた。やがて横一列にカウンターが並ぶイミグレーションゲートの手前まで進んで立ち止まった隆嗣は、意を決して李傑へ振り返った。

 その顔は怒りでも哀しみでもなく、ただ寂しげだった。

「李傑、どうして君は、再び私に近づいてきたんだ?」

 その問いは李傑の心臓を抉った。彼自身が何度も自分へ問い続けていた謎だった。

「あれから、19年と6ヶ月……俺は、ようやく辿り着くことが出来た」

 隆嗣の宣言を受けて、李傑の身体が小刻みに震えだす。

「祝平に……陳祝平に会ったのか?」

 ようやくその言葉だけが口から出た。立ち止まる二人を、後から続くビジネスクラスやエコノミークラスの乗客が追い抜いてイミグレーションに行列を作っていく。

「君は立芳を陥れようとした。だが、その命まで奪ってしまったのは、君の本意ではなかったと信じるよ。だから、君の命まで差し出せとは言わない」

 感情を殺した、淡々とした口調だった。

「あんな政治犯が言うことを信じるのか? なあ、俺たちはうまくやっているじゃないか。二人で徐州に、いや、江蘇省に帝国を築こう。いずれ……必ず俺は、北京の中央政界へも足掛かりを作ってみせる。この国には、まだまだ喰い込む余地がたくさんあるんだ。二人でのし上がっていこうじゃないか」

 しかし、隆嗣はその渇望する声には応えず、イミグレーションを指差した。

「話はあとにしよう。君は中国人ゾーンだ、あっちだ」

 そう言って、隆嗣は彼を無視して外国人ゾーンに連なる行列の最後尾へと歩いて行った。

 仕方なく李傑は、首を振りながら中国人ゾーンへと進んだ。背中にはシャツに滲むほどの冷や汗が噴き出していた。隆嗣へ弁解し説得するためのシナリオをこの数分内に作り上げなければならないと脳漿を絞る。

 左手奥の外国人ゾーンへ目を向けると、すでに隆嗣はカウンターの一つへと進んでいるところだった。パスポートを出してスタンプをもらうまで1分もかからない。隆嗣の小さな後ろ姿を目で追っていると、後ろの中年女性に肩を叩かれた。

 気が付くと、自分が最前列に立っていた。