3月3日の石原慎太郎の記者会見を見ていて、石原について評論家の江藤淳が言った「無意識過剰」は当たり過ぎるほどに当たっているなと思った。都知事だった自分の責任とかはほとんど意識にのぼらないのである。「みんなで決めた、みんなで決めた」と言うなら、都知事は要らないのではないか。
一橋大学では先輩で、文壇では後輩の城山三郎が、私が石原と対談したと言ったら、「すれてないだろう」と石原を評した。
確かに威嚇したりする感じではない。
思想的に対極の雑誌にも出る好奇心
石原とは『週刊金曜日』の2000年7月7日号で対談したのだが、大体、石原の思想とは対極の同誌に出てくるところが「すれてない」証しだろう。石原の「三国人」発言を問題視する「石原やめろネットワーク」の共同代表だった私は、都庁の一室で石原と向かい合った。石原は私に、「今日は何ですか。あなたは何の評論家なの。専門は経済?社会一般?」と尋ね、私が、「政治経済です。今日は私が聞くんですよ(笑)」と遮らなければならなかった。
好奇心旺盛なのである。
「月刊誌『正論』のなかで石原さんは、日本民族は厳密に言えば単一民族ではないかもしれないと言っていますが」と切り出すと、石原は、「日本は非常にアメリカに近い国です」と答える。それで、「戦争中、穂積八束とか井上哲次郎などの当時としては今の石原さんみたいな立場、いわゆるタカ派に括られる人たちが、むしろ混合民族説を強硬に主張していたわけです」と続けると、石原は、「八紘一宇、大東亜戦争の正当化のために?」と聞き返す。
知らなかったわけだが、それを素直に出す石原に、私は拍子抜けしてしまった。たたらを踏んだ感じになったのである。そこから論争を始めようと思っていたのに、肩透かしを食って、激しく詰め寄ることができなかった。そのため、『週刊金曜日』の過激な読者から私が責められることになってしまった。
この時、石原は田中角栄について、「角栄には言葉も戦略もあったけど欲があった人ですな。やっぱり金権で日本を駄目にしたのはあの人ですよ」と言っていたが、およそ15年で180度評価を変え、『天才』などと持ち上げることになる。