目的達成のための
労力を惜しむな

 多様な価値観がある社会において、ある一面だけをすくいとってルール化し、気がついたらその価値観で社会が覆われているというのは、怖いことです。これは受動喫煙の問題だけに限りません。

 話が広がるかもしれませんが、小学生の運動会なども、何でも危険、危険という過剰な予防策はますます体力の弱体化を進めるのでは心配になります。また、ノロウィルスの感染を危惧して自治体が餅つきを禁止にしたりするといった最近のニュースを見ていると、日本が窮屈な社会になっていくなあと、危機感を覚えることが多々あります。

 もちろん、時代に応じて状況が変化し、それに応じてルールもまた変わっていくことは当然です。しかしそれとは別に、組織トップの人間、管理者の側に、「クレームが来そうなことは、禁止にすればいい」という安易な発想がある気がしてならないのです。

 何か事を起こそうとしたら、リスクはつきものです。それは主導する側も、その主導者について参加する側も、認識すべきことです。ビジネスであればものを売る側、買う側にも同じことがいえます。両者ともにリスクがあることを知りながら、あえて目的を達成するために自ら責任を持って参加するという最低限の認識が、最近の日本社会には足りないのではないかと思います。

 餅つきの例でいうと、主催者側が「楽しいお正月の風物詩を、みんなに味わってほしい」という目的を強く持っていれば、ウィルスの感染という問題が発生したときに、まずは「どうしたらリスクを減らして、実行できるだろうか」と考えるはずです。開催前に消毒を徹底しようとか、手袋をはめようとか、できる限りの対策をとったうえでウィルス流行の危険性を呼びかけ、食べたい人や参加したい人には参加のチャンスを設けてあげる。そういうふうに安全に実施する手立てを講じればいい話ではないでしょうか。

 この例に限らず、「何か言われそうだから、やめておこう」「問題になりそうなことは、禁止してしまおう」という判断が世間に横行している気がします。それは当事者としてあまりに安易で、勇気のない行動に見えるのですが、どうでしょうか。ある意味で、目的を達成するという責任の放棄にも、見えてしまいます。

 受動喫煙の防止への意見から、つい話が広がってしまいました。ルールというのは、「誰のため、何のため」という目的に沿ったものでなくてはいけません。今回の健康増進法改正案についても、そのあたりをしっかりとお考えいただき、審議に当たっていただきたいと考えます。