(2006年6月、上海)

 幸一と岩本会長は、上海の虹橋空港へ降り立った。浦西市街地に近いこの空港は、国内線をメインとした空港である。到着ゲートを通り抜けた狭いロビーに、隆嗣が背広姿で立っていた。岩本会長の姿を認めると足早に近づいてきて腰を折る。

「お疲れ様です。会長」

 すぐに岩本会長が持っていたキャリーバッグを自分の手に取った。

「久しぶりだねえ、伊藤君。元気にしているかい?」

「はい、お蔭さまで。会長もお変わりなく、若々しいですねえ」

 岩本会長の赤いポロシャツを指して隆嗣が言った。

「先ずは昼食に参りましょう。午後のフライトまでお時間がありますが、何かご希望はありますか?」

「そうだねえ、久しぶりに足の裏のマッサージ屋さんに行きたいねえ」

「わかりました」隆嗣が頷きながら答える。

 幸一は不思議な目で見ていた。

 伊藤氏が岩本会長に接する態度は、明らかに岩本社長に対するそれとは違う。もちろん岩本社長に対して無礼ということではなかったが、そこにはビジネス以上の付き合いを拒否するような峻厳さがあった。しかし、岩本会長に対しては敬老の気持ち以上と見受けられる慇懃かつ慕うような態度で接し、岩本会長のほうもそれを当たり前のように受けて温顔で伊藤氏に接している。

 一行は、隆嗣のワゴン車で上海浦西の繁華街へと入った。香港式飲茶レストランでテーブルに載り切れないほどの点心を頼み、みんなで舌鼓を打ちながらビールを数本空けた。

「桐の盤木は、今週中にも製材をしてくれるそうです。ご手配ありがとうございました」

 幸一が仕事の報告をすると、隆嗣は微かに頷いただけで応じた。

「そうそう、先方さんは値段はいくらでもいいと言っていたが、どうしたものかねえ」

 岩本会長の問い掛けに、隆嗣は煙草に火を点けながら答える。

「あの会社の日本向け商品、主にホームセンター向けですが、その窓口は私がやっています。お気遣いなく会長のご希望価格をおっしゃって下さい。それで値決めさせます」

「それはありがとう」

 隆嗣の好意を、岩本会長は素直に受け入れた。