「いやあ、足腰が軽くなったよ」
マッサージ店を出た路上で、岩本会長は両手を広げ背伸びをした。隆嗣が振り返る。
「いま車を呼びました。私が会長を浦東空港まで送るから、山中君、君は先にホテルに入って夜まで休んでおきたまえ」
「いえ、そんなわけにはいきません。私も空港までお見送りします」
幸一は隆嗣に抗おうとしたが、それを制したのは岩本会長だった。
「幸一君も、年寄りの相手で疲れただろう。いいから先にホテルへ行きなさい。私は伊藤君に送ってもらうよ」
「しかし……」
「今夜、店で会おう。場所は覚えているか?」
この場で幸一と別れることを前提とした隆嗣の話し方に、幸一は岩本会長の見送りを断念して応じた。
「え、いえ。一度きりでしたので、余り自信はないんですが……」
「それじゃあ、地下鉄2号線の江蘇路駅まで来てくれればいい。愚園路と江蘇路の交差点だ。その川崎さんと連絡が取れたら、私に電話をしてくれ」
幸一が反芻するのも待たず、隆嗣が手を上げてタクシーを止めた。
「いやあ、幸一君、ご苦労様だったねえ。元気で仕事に頑張ってくれよ」
「はい。それでは、ここで失礼いたします。会長もお元気で」
タクシーを長々と待たせるわけにもいかず、仕方なく幸一は乗り込んだ。結局、あの二人の間に自分は入り込むことが出来なかった、幸一はそう思った。
隆嗣と岩本会長を乗せたワゴン車は、高架道路を通り浦西と浦東を繋ぐ動脈の一つである大きな南浦大橋へと差し掛かった。橋上の高い位置から左手の窓越しに下界を眺めていた岩本会長が、隆嗣へ声を掛ける。
「あれは外灘公園だよねえ」
「はい……」
「懐かしいねえ。今でも時折思い出すよ」
「ええ」
隆嗣の短い返事を感慨深く受け止めながら、岩本会長の目は外へ向けられたままだった。車はそのまま浦東空港へ向けて走り続けた。
(つづく)