日本の常識を打ち破る公立美術館が、なぜ金沢に生まれたのかSANAA設計の美術館外観。東西南北4つに出入り口がある

70~90年代のハコモノ行政の結果、全国に乱立した“見た目は豪華だが、閑古鳥が鳴く”公立美術館。その中で「最大の“勝ち組”」といわれるのが、04年に開館した石川県金沢市の金沢21世紀美術館。公立美術館の行く末は、首長の手腕が大きく影響する。「前例なき挑戦の連続だった」というこの美術館の立ち上げを主導した前金沢市長、山出保氏に話を聞いた。(「週刊ダイヤモンド」委嘱記者 野村聖子)

日本の常識を打ち破る
美術館にしたかった

──金沢21世紀美術館(21美)には何度か足を運んだことがありますが、いつも賑やかですね。そして、子どもや若い世代が多いのも印象的です。

 市長在任中、ヨーロッパに視察に行くことが何度かありました。そこで見た美術館の光景は、教師に引率された子どもたちが絵の前でスケッチしたり、絵の感想を声高に議論し合ったりと、とにかく騒々しい、の一言。郊外にある公園の高台にあり、パルテノン神殿のような威容を誇る建物。そして、一旦中に入ると、息を殺して美術品に向かわなければならない。このような従来の日本の美術館とは全く異なる様子に、私は衝撃を受けました。

 その後、金沢市で美術館を作ると決まった時、日本にもヨーロッパのような美術館が1つあってもいいんじゃないかと。私は、人と同じことをするのが何よりも嫌いなので、どうせ新しい美術館を一から作ることができるのだから、これまでの日本の常識を打ち破るものにしたかったのです。