(2007年12月、上海)
「そう、幸一さんが引き受けてくれたの。よかったわ、慶子さんも喜んだでしょう」
カウンターの中で、迎春が我が事のように嬉々としている。
新年まであと3日となった今日は客足も少なく、残っているのは2階フロアで忘年会を行っている一組だけになっていた。
「ああ……手間のかかる奴さ」
隆嗣がカウンターの隅で水割りのグラスを傾ける。マンションに戻って休んでいたところに、幸一からLVL工場の仕事を引き受ける旨の電話連絡を受けた隆嗣は、とりあえず心配していた迎春に知らせてやろうと、珍しくハイネックのセーターというソフトな格好で遅い時間に店へ現れた。
「そんな言い方をして、本当はお気に入りなんでしょ?」
迎春は遠慮なく言い、何か言い返そうとする隆嗣を無視して、1階のソファで手持ち無沙汰にしている小姐たちに声を掛けた。
「みんな着替えなさい。もう帰っていいわよ。今日は早仕舞いするわ」
憎まれ口を言うタイミングを殺がれ、苦笑いした隆嗣が話題を変える。
「ご両親は変わりないかい?」
「え、ええ。お蔭さまで……相変わらず父は肝臓の調子が良くないみたい。母はお酒を止めさせようとしているらしいけど、なかなか、ね」
立芳を失い、職も失った父が、どのような心境で娘が送る仕送りで日々を送っているのだろうか。
かつて李傑が語った立芳の『あの日』の顛末を、隆嗣はまだ迎春へは話していない。彼女へ語り、諦めることを自分に強いて18年の歳月を越えてきた両親に伝えたところで、何の意味もなさないだろうと思っていたのだ。
「上海へ呼んだらどうだい。近くで世話をするほうが、君も安心だろう」
しかし、迎春は首を振る。
「何度か誘ってみたけれど、やはり上海には来たくないみたい。嫌いなのよ、この街が」
二人は黙り込んでしまった。