当時、私のインタビューに対して、呉氏は次のように強調した。

「先に踏み出したその一歩は、非常に大きな意味をもっていた。販路、市場、経験など市場経済の分野ですべて私たちがリードする形で走り出すことができたからだ。それが今になって他の農村を大きく引き離し、私たちに大きな成功をもたらした」という言葉が印象的だった。

 2004年、同村の村民はすでに1人当たり所得が12万2600人民元になっていた。これは、普通の農民の年収の42倍近くに相当する。その成功を武器に、周辺の村をどんどん合併すると同時に、貧困で有名な寧夏回族自治区に「寧夏華西村」を、ロシアと隣接する黒竜江省に「黒竜江華西村」を作るなどして、勢力を拡大していた。そうした華西村の成功を見習って、多くの村も自発的に合作社を作り、集団化経営の道を歩み始めた。

 私は、中国の農村のなかで改革の先頭を走ってきた村としてメディアで何度も華西村を紹介し、上記のような内容を日本の読者に伝えた。

村民のカネを乱用し
成金趣味のホテルを建設

 しかし、実際、香港返還の年に当たる1997年のその取材で私は華西村に対する印象をかなり悪くした。

 村の象徴的存在とされた「金塔」というホテルを案内されたとき、そのダサさと成金ぶりにあきれた。私は、案内係に「こんな建物を作る必要は果たしてあるのか。必要だとすれば、もっとましなデザイナーに頼んだ方がいいのでは」と率直な印象を口にした。案内係が慌てて私の口を塞いで、「案内の責任者は呉氏の息子さんで、その批判めいた発言がもし彼の耳に入ったら、あんた村から追い出されてしまう。この村では、批判的な発言は控えた方がいい」と私に忠告した。

 好意的とは言え、その忠告という行為、そしてその内容に私は驚きを覚えた。文革時代への逆行を感じたからだ。

 村中に点在していた大きな動物と、歴史上または文学上の聖人たちの彫刻がアンバランス的な雰囲気を醸し出している村の一角に、万里の長城の巨大なミニチュアが配されている。そこを案内された私は、「この長城のミニチュアの長さは1997mで、香港返還の1997年を記念するものだ」と呉氏の息子から説明を聞いた。