中国で農村の模範だった「金持ち村」はなぜ凋落したのか華西村には、農村には似つかわしくない巨大なビルが建設されている Imaginechina/AFLO

 江蘇省江陰市には「金持ち村」と呼ばれる村がある。華西村だ。1990年代に私が数度取材したところだ。

 華西村は、早い段階から豊かな村として知られており、「中国第一村」と呼ばれるほど集団化経営に成功したと言われた存在である。80世帯、1520人、面積がわずか0.96km2という小さな村だ。

 1997年にこの村を訪ねたとき、すでに多くの農民の家に自家用車として軽自動車が配給されていた。村営製鉄所や村営衣料品工場などが、村民たちの豊かな生活を保証していた。村のリーダーである呉仁宝氏は、毛沢東の人民公社時代に、朽ち倒れんばかりのぼろ家に豆腐工場をひそかに設けて、現金収入を確保していた。

豆腐工場から身を起こし
工業化に成功した村

 党の上層部が検査に来ると、豆腐工場であるぼろ家に藁などをかけて、ばれないように偽装してごまかした。のちに人民公社が解散して、農業経営が自由になったとき、他の村の農民は農業に専念することしか知らなかったが、呉氏率いる華西村は郷鎮企業の雛型を形成し、工業化の道を先に踏み出していた。