◎倒産寸前「7度の崖っぷち」から年商4倍、23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロ!
◎「赤字は犯罪」&「黒字化は社員のモチベーションが10割」と断言!
◎学歴、国籍、性別、年齢不問! ダイバーシティで女性管理職3割!
◎「2-6-2」の「下位20%」は宝! 70歳まで生涯雇用!
……こんな会社が東京・西早稲田にあるのをご存じだろうか?
現役社長の傍ら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾から慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールまで年50回講演する日本レーザー社長、近藤宣之氏の書籍『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』が話題。発売早々第5刷となった。
なんと、政府がこれから目指す施策を20年以上前から実践している小さな会社があった! 「7度の崖っぷち」からの大復活! 一体、どんな会社なのか?
「1000人リストラ」に直面
株式会社日本レーザー代表取締役社長。1994年、主力銀行から見放された子会社の株式会社日本レーザー社長に就任。人を大切にしながら利益を上げる改革で、就任1年目から黒字化させ、現在まで23年連続黒字、10年以上離職率ほぼゼロに導く。2007年、ファンドを入れずに役員・正社員・嘱託社員が株主となる日本初の「MEBO」を実施。親会社から完全独立。現役社長でありながら、日本経営合理化協会、松下幸之助経営塾、ダイヤモンド経営塾、慶應義塾大学大学院ビジネス・スクールなど年50回講演。東京商工会議所1号議員。第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「中小企業庁長官賞」、東京商工会議所の第10回「勇気ある経営大賞」、第3回「ホワイト企業大賞」など受賞多数。
【日本レーザーHP】 www.japanlaser.co.jp/
【夢と志の経営】 info.japanlaser.co.jp/
私は、「社員の生涯雇用を守ること」こそが社長の責務だと考えています。けれど、日本電子時代の私の仕事は、今とは対照的で「人を切ること」でした。
1972年、私が28歳のとき、労働組合の執行委員長に就任しました。その矢先、ニクソンショックにより円高が進み、さらにはオイルショックで物価が跳ね上がると、日本電子の経営状況は一気に苦しくなりました。
上場以来、株価を支えるため高配当を続けていたことも体力を消耗させました。
資本金32億円の会社が、「38億円もの赤字」を抱えることになったのです。経営危機を乗り切ろうと、日本電子は合理化を進めます。電子顕微鏡と分析機器・臨床検査装置の事業だけを残し、レーザー、電子計算機、集積回路、電子ビーム録画機器など多くの事業からの撤退を決めました。
厳しい労使交渉の末、経営責任を明確にしてもらうため、当時の経営トップは全員退任してもらうことになったのですが、その一方、希望退職という形で社員全体の3分の1に当たる1000人の社員を削減することになったのです。
私は、希望退職を受け入れる苦渋の決断をしました。労組の執行委員長として人員削減を受け入れたとき、私は30歳でした。
退職する方は組合からも脱退しますから、積み立ててきた闘争積立金を返還しなければいけません。
私は、その手続きで数百人の組合員全員と面談したのですが、大半の方は私より年長の先輩にもかかわらず、「委員長もこれからよい会社をつくってください」と激励してくれました。
長年、組合のために尽力してくれた功労者がリストラされ、社歴が短く、貢献度の低い若者が残る! この会社の判断に、私の心は相当痛みました。
希望退職制度で退職金の割増や、再就職斡旋や、再雇用制度も条件にしましたが、一部の組合員からは、
「オレは15歳からこの会社で働いてきたのに、この仕打ちはなんだ!」 「どうしてオレが経営の失敗の犠牲にならなきゃいけないのか!」 「組合に協力した私が、どうして会社を去らなくてはいけないのか?」 「委員長や書記長が現場をよく見ていれば、経営危機の芽にいち早く気づいたのではないか。いったい、何をチェックしていたんだ!」
と憤懣をぶちまけられたこともあります。 当時の私には、答える言葉がありませんでした。では、会社にとどまった3分の2の社員は安泰だったのでしょうか? 決してそうではありません。