「去るも地獄、残るも地獄」
で味わった2つの教訓
再建のメドが立つまでは、「年収25%減の状態」で働かなくてはならなかったのです。
去るも地獄なら、残るも地獄でした。
人員整理と自主再建を通して私は、
「組合が頑張って労働環境を改善したとしても、経営そのものが間違っていては雇用を守れない」 「すべての元凶は赤字であり、赤字は社員とその家族の人生を狂わす」
ことを肌身で教えられたのです。
1984年に執行委員長を退任すると、今度は米国法人の副支配人として渡米。
与えられた任務は「ニュージャージー支社を閉鎖する」という、これまた過酷なものでした。
支社には、50人のアメリカ人従業員と10人の日本人駐在員がいましたが、アメリカ的手法での整理を行い、アメリカ人社員を全員解雇し、土地・建物をすべて売却したのです。
ニュージャージーの一件がひと段落ついたあと、今度はボストンの米国法人本社に移ります。
1989年、取締役(本社取締役兼米国総支配人)になってまもなく冷戦が終結します。
日本電子製品の約4割はアメリカの軍関係に納品していたため、冷戦終結は大きな試練で、売上が激減しました。
一時期100億円以上あった売上は、60億円台にまでダウン!
このままでは大赤字になることが明らかだったため、経営の立て直しに走りました。
たまたま現地で進めていたサービス事業が好調だったため、最終赤字にはなりませんでしたが、それでもリストラをせざるをえない状況でした。
指名解雇をして2割程度の人員削減を断行したのです。
一度でも体験してみるとわかりますが、リストラはまさに「修羅場」です。
「日系企業は解雇がないと聞いていたからこの会社を選んだのに、業績が悪くなっただけでどうして解雇するんだ」
と、私の前で嗚咽をもらした社員もいました。
私も一緒に泣きながら、「本当に申し訳ない」と心から謝罪しました(この社員とは、10年以上たったあと、サンノゼで開かれたレーザーの展示会でバッタリ遭遇。ハグし合って再会を喜び合いました。新たな職場で活躍する彼を見て、とてもうれしく思いました)。
どんな理由があろうと「赤字は犯罪」
労組執行委員長として自主再建に取り組み、ニュージャージー支社を閉鎖し、ボストン(米国法人本社)では指名解雇をするなど、非情な人員整理を行う中で私は、
「安定的な雇用確保こそ、経営者の役割である」
「会社は、雇用を守るために存在する」
「社長は、雇用を守るために、絶対に会社を赤字にしてはいけない」
と痛感するようになりました。
こうした経験が、日本レーザーの雇用の基礎になっています。
どんな理由があろうと、「赤字は犯罪」です。
なぜなら、会社が赤字になれば、雇用不安を引き起こすからです。
環境が変化しても、社員が努力すれば利益を生む構造をつくるのが、社長の仕事なのです。