「ようこそ、ジェイスン・ウェルズです。久しぶりですね李傑さん」
部屋の主、ジェイスンが笑顔で出迎える。二人が握手を交わしているのを尻目に、隆嗣は無遠慮にデスク前のソファセットに腰掛け、冷やかしの言葉を友人たちに浴びせた。
「20年前、上海にいた貧乏学生が、こんな場所に集えるとはね」
「ハハハ……20年といえば、赤ん坊が女を口説けるようになるほど成長できる時間さ」
ジェイスンが軽口で応じるが、そんな会話を聞いているのかいないのか、李傑は窓ガラスから見える下界の景色を堪能していた。
超高層ビルから見えるビクトリア湾は、箱庭の池のようにしか見えない。その先には香港の心臓部チムサーチュイが見える。湾岸に建つひとつひとつの建物は立派だし所々に緑も見えるが、奥に進むにつれて統一性のない猥雑な印象は拭えない。
「昔は、香港に憧れていたものだが……浦東金融センターを始めとして計画的に開発されている上海が、香港を抜くのは時間の問題だな」
さすがに計画的発展を標榜する共産党員としての発言を忘れない。そのセリフを聞いたジェイスンは、李傑から顔を逸らして隆嗣に向かって舌を出した。隆嗣は苦笑いでそれに応える。李傑が振り返った。
「それで、私はどうすればいいのかな?」
口元に作為的な微笑みを描いたジェイスンが、背広の内ポケットから数枚の書類を取り出した。
一つは住民票だった。氏名は杜長生とある。そしてもう一枚は口座開設依頼書だ。
「今日だけは、あなたはミスター・トー(杜)です。こちらの名義で口座を開設いたしますので、この書類へサインをしてください」
そしてジェイスンは、別の書類を取り出して隆嗣へ差し出す。それを一瞥した隆嗣は、サインをしてジェイスンへ返した。李傑は慎重に英文の書類を読み返してから『杜長生』と、堅い文字で記した。
ジェイスンがデスク上のインターホンを押すと、中国人行員が部屋へ入ってきて書類を確認し、持参したデジタルカメラで李傑の顔写真を撮影した。
「これでミスター・トーの口座が開設されました。引き出し及び振り込みをされるには、李傑さん、あなたが直接銀行へいらっしゃって顔写真で本人確認をし、今書かれたサインをした上で、暗証番号を打ち込まなければなりません」
ジェイスンが業務的に報告し、李傑が安堵の溜め息を漏らす。ものの数分で先ほどの行員が再び部屋へ入ってきて、写真入りの口座カードと通帳を李傑へ手渡した。